大川小学校の友たち

今日はステージの後、石巻市の河北総合支庁で開かれたご遺族と石巻市教育委員会の会合に参加しました。
 冒頭からみずほちゃん(当時小学校6年生)をなくした佐藤敏郎先生が、最初から勇気をふるって質問を続けました。
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 まさに法廷における弁護士のような姿勢で臨んでいきます。
 その姿を見て、あまりに切なくなりました。だって、敏郎先生は娘を亡くしたご遺族なんです。なんでそんな辛い思いをしたお父さんが、こんなことをしなければならないのか。
 今日は、久しぶりに顔を出した柏葉元校長先生への質問が続き、その「覚えていません」「忘れました」という、どこかの国会答弁のような発言に、一同憤りと落胆をあらわにしながら、哀しい展開でした。
 しかし、じっとその元校長先生を見ていて、実は本当に思い出せないに違いないと思いました。
 それは、元校長先生は自分の責任の重さが故に、あの日のことをずっと長い時間かけて抑圧し、回避し続けたが故に、本当に思い出せない事態になってしまっているのだと。
 きっと元校長先生は、
「本当に思い出せなくて、仕方ないんです。」
 と思っていると思いますが、それは同情されるべき事ではなく、ずっと「逃げてきた」責任があるということに気づかなければなりません。
 そして、もう一つの争点は生き残った唯一の教諭のことになっていきました。
 主治医はいったい何をやっているのか。2年7ヶ月もドクターストップをかけるような愚かなことをして、治療はどうなっているのか。いつになったらちゃんと証言してくれるのかと言うところに争点が集まりました。
 当然だと思います。
 もしもきちんとPTSDに対する治療をしているのであれば、その過程で「語ること」「証言すること」は治療の内容に組み込まれるはずです。それをしていないということは、ただ診断書だけ書いて、その先生を閉じ込めているに過ぎないといわれても仕方ありません。
 同業者として何とも恥ずかしい心療内科医です。
 もしも、その心療内科医がこのご遺族の願いや、検証委員会の膠着状態を本当に知っていたら、目の前の患者さんのためだけでなく、この悲劇全体に対する意識を持ち、その共有の治療をもっと積極的に進め、例えば現場に連れて行くとか、一部のご遺族の方と会うなどの「前に進める治療」が必要なことは自明の理です。
 それを一切行わず、ただ闇雲に診断書を書いて「外に出る必要なし」の称号を与え続けているというのは、もはや人の命を救うべき医師ではないと思います。
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 今後、ご遺族はこの唯一の生き残り教諭の証言を強く求めていくでしょう。
 そしてそれに対して、「治療上の配慮で会うことは出来ません」などと言って逃げられる時期は既に過ぎていることを認めざるを得ないでしょう。
 きちんと治療をしているのであれば、そろそろしっかりと自分の社会的な責任を果たすことで、回復の第三段階「社会との再結合」を獲得することになります。これは、心の傷を受けたことによって、逆に社会へその経験を還元し、自らの苦しい体験を世の中に活かすことで、本当の心の治療が完成するという過程のことを指しています。そこまで行くことで、人は心の傷の痛みからようやく解放されていきます。
 もしも本気で治療しているのであれば、その生き残った教諭の人生のためにも、しっかりと語ってもらい、防災意識の高揚につなげ、「こんな自分でも生き残って人の役に立てた」という思いを持ってもらわなければなりません。その主治医はそこまでやっているのでしょうか。
 現状で判断すると、回復の第二段階である「語りと服喪追悼」でさえ、進めていない様子がうかがえます。なぜならば、その先生の「語り」が全く見えてこないからです。もちろん現状でその語りを公にしなければならないとは言いきれません。それは「治療」だからです。しかし、少なくとも職場の管理者たる校長先生にはその過程が伝わっていなければならないはずです。
 私は休職の診断書を書いた学校の先生の上司とは定期的に面談し、現在の様子、復帰の可能性についてきちんと報告しています。それは至極当たり前のことです。
 今日の現校長先生のご様子からは、そういった報告が一切ないことがよくわかりました。
 このような状況をもってして「治療」と呼ぶことは許されるものでありません。
 現在の主治医にはしっかりとJudith L. Hermanの「Trauma and Recovery(邦題:心的外傷と回復)を読んで頂き、第二段階と弾三段階をすすめるべきだと思います。
 これまで「治療だから仕方ないか」ということで、一歩引いていらっしゃったご遺族も、2年半が過ぎてしまった今、そんな理由で黙っているわけがありません。これは世の中の摂理です。
 しっかりと治療を含めて、その生き残った教諭には語ってもらうべき時期が来ています。今日の元校長先生のようにまるで意識障害でもあるかのような、「忘れました」「覚えていません」といった答弁にならないように。
 あの状況ではもはや病的としかいわざるを得ないと思いました。
 そんな中、哲也君たちが今日は東京のシンポジウムに呼ばれていました。
 NHKのニュースがきちんと伝えていました。
 頑張れ、哲也君!
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131123/k10013287841000.html
桑山紀彦
 

大川小学校の友たち」への3件のフィードバック

  1. すごく重たいテーマだと思います。
    目に見えな病気だから正しいステップを踏むセオリーをやらずに、腫物に触るような治療で問題を先送りしている医師がいるとしたらゾッとします。
    物理的な復興ばかりに目が奪われてしまいますが、心の復興が置き去りにされているようで心配です。
    忸怩たる思いが募るばかりです。

  2. 悲しいですね。復興ってまだ何も進んでいないどころか始まってすらいないのですね。心の復興はいつ始まるのでしょう。先生方も心を痛めておいでだと思いますが、まづは事実と向き合う勇気を持ってほしいです。これからのために、前に進むために、初めの一歩に力をと感じます。・・・でも被害をうけてない私には何も言えないかな・・・。

  3. こんにちは、始めまして。
    縁あって敏郎先生にお会いし、検証委員会に出席しています。
    23日は哲也くんが出席したシンポジウムにも行って来ました。
    何とかせねば…微力ながらもがいています…。
    実は高崎市PTA連合の役員をしております。
    地球のステージin高崎を楽しみにしております。
    お越しの際はよろしくお願いいたします。

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