哲也君の勇気

今日、大川小学校の数少ない生存児童、只野哲也君に逢いました。
 お父さんとは何度も逢っていますが、ついに哲也君に逢うことが出来ました。彼は、数少ない大川小学校の生存者なのです。残念なことに妹さん、お母さん、おじいちゃんを失い、自宅も全壊でした。彼は奇跡的に裏山に逃げたところを津波に襲われ、身体が半分山肌に埋まった状態で、たまたま冷蔵庫に乗って流れ着いた大川小学校生徒に助けられて奇跡の生存をした少年です。被災時小学校5年生でしたが、今は中学校2年生になっています。
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お父さんと哲也君

 そんな哲也くんがすごいと思うのは、被災後早い時期にしっかりとテレビに出て証言をしてきたことです。そんな哲也君のことをテレビで見た人もいるでしょうし、お父さんとキャッチボールをするNHKのドキュメンタリーを見た人もいるかもしれません。
 そんな哲也君は、私たちがやってきた「向き合う」心のケアの番組を見て、
「この人たちがやっていることは正しい。オレもずっとこれは必要だと思ってきた。」
 とお父さんに語り、お父さんはそれが縁で桑山とつながって今日の日を迎えました。
 ちゃんとあの日の出来事を時系列に沿って話せる哲也君。すごいと思ったのは、「その瞬間」をきちんと語れていることです。
「おれ、津波をみて、すぐに裏山に走って駆け上り、振り向いた時には水は見えなかったんです。でも、もう一回山の方を見て登ろうとしたその瞬間、ドン!と津波に襲われて気を失いました。そこでふしぎな夢を見たんです。妹とその友だちと遊んでいる夢で、自分が側溝にはまって動けなくなり、“助けて”って妹に叫ぶんだけど、なかなかそこから出られなくてどんどん沈んでいくって、そんな夢見て目がさめたら、身体が半分埋まっていたんです。」
 こんなに詳細に語れる哲也君。でも彼はずっと語りたいと思ってきました。それなのに検証の人々は、それを先延ばしにしてきたのです。
「子どもに語らせることは、心に負担をかけることになるので慎重に・・・。」
 と言っていました。一瞬最もらしく聞こえますが、そんな中で2年と7ヶ月が過ぎ、さすがの哲也君も、
「忘れかけている。」
 とこぼすくらいに、無為に時間が過ぎていきました。お父さんはいつも、
「きちんと哲也に語らせたい。」
 と言ってきたのに・・・。
 そんな哲也君が言いました。
「今トイレに行って帰ってくる時に、廊下で桑山さんが途上国の子どもたちと一緒に写っている写真を見てハッとしました。僕たちはこの“笑顔”を失っている。お互いが疑心暗鬼になって、だれが何をしたとか噂ばっかりが渦巻いて・・・。
 オレはもう一回、あの津波の前のようにみんなと屈託なく笑えるようになりたい。
 閖上の子どもたちが映画を撮ったり、ウオークラリーをして、自分の自宅跡に寝っ転がって生き残った家族と笑っている写真を見て、正直ショックを受けました。
 ちゃんと向き合っていけばこんなふうに笑える日がくるんです。
 途上国の子どもたちだって、大変なことも多いだろうに、ちゃんとその困難に向き合っているからあんな笑顔で笑えるんだ。
 オレは、もう一回大川のみんなが、腹の底から笑えるような関係になりたい。そのためにはみんながちゃんと語って向き合うことが大切だって、本当にわかりました。
 ここへ来れて良かったです。」
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 さらにこの勇気ある14歳が語りました。
「オレは津波で大切なものをたくさん失ったけど、得たものだってあるんです。たくさんの人と出逢えたし、ここ(「地球のステージ」の事務局)に来ることだってなかった。だから悪いことばっかりじゃないって、そう思ってるんです。」
 哲也君、君の勇気に脱帽です。君のその勇気に応えるには、大人の私たちがしっかりすることだね。しっかりと検証してもらうことと、語っていない人たちが一人でも多く語ること。そして、ご遺族のみなさんがもう一度自分らしく笑える日がくるように、いろんな活動を一緒にしていこう。
 これから、哲也君が「地球のステージ」の震災復活篇の主人公です。
 今は石巻市内の中学校に転校して、日々柔道部でがんばっています。今回3年生の引退と共に部長になりました。新人戦は団体で決勝まで残りましたが、2対3で惜しくも敗退。個人戦では3位に入りメダルを取りました。前期は学級委員をやってみんなに信頼されていますが、この学年200人を超える大規模校では大川小学校からの入学は哲也君ただ一人です。
 数学と理科が得意。将来は今のところ警察官になりたいと思っているけれど、カメラも好きでひょっとしたらジャーナリストも合っているかも。
 生き残ったお父さんとおばあちゃんとの3人暮らし。料理をつくるのも好きで、得意なのは何と中華料理。カレーライスはこれからつくってみたいと思っています。
 哲也君が貫こうとしている真実を、大人の私たちが汚したり妨げることのないよう。
 大川小学校を見守っていきましょう。
桑山紀彦
 

哲也君の勇気」への10件のフィードバック

  1.  岐阜県高山市教育委員会の教育長はずっと大川小学校のことを気にかけていらっしゃいます。現地へも実際に何度か訪ねられました。今日のこの記事を読まれたらきっとほんの少しだけでも安心されることでしょう。早速、彼に転送します。

  2. 哲也君のことを知ることが出来てとても嬉しいです。
    震災復活篇を心待ちにしています。

  3. 哲也くんとお父さんは、ドキュメンタリーで拝見していました。
    その当時は小学生だったけど、もう立派に語れる中学生なっていたのねと、ブログを観ながら泣いてしまいました。
    心のケアって言いながら、ないがしろにしてきたことがたくさんあるのかもしれませんね。
    桑山さんのやってきたことを、信じて応援してきて良かったと心から思いました。

  4. 只野哲也君、震災当時は小学5年生だったけど今は中学2年生ですか~!!
    只野哲也君、カッコ良くて逞しくて凛々しくて、最高ですよ~!!
    只野哲也君の、丸刈り坊主頭も最高に強そうでカッコイイっすよ~!!
    只野哲也君のコメント、聞きたいです!!
    頑張って下さいね~!!

  5. はじめまして。
    福岡県の平山と申します。
    私は震災から三週間後に現地に行き、震災から三年間で12回程、支援活動させて頂いています。
    大川小学校にも何度か訪問させて頂きました。
    震災の凄さと悲しみをいつまでも忘れてほしくないという気持ちで宮城から遠く離れた福岡県の子ども達に毎年、現地の様子など話しています。
    三回忌を過ぎた今、宮城から遠く離れた地域にとっては、過去の出来事になりつつあります。
    そんな中、只野くんが風化させない為に色々と動いている事を知って、とても感動しました。
    もし、良ければ福岡県に只野くんを招待し、只野くんが体験し感じた事や思いを九州の方々に伝えて頂きたいと思っています。
    もし、よろしければ只野くんにお伝え出来ないでしょうか?
    突然、失礼なお願いで申し訳ありません。

  6.  桑山さんの「哲也君が貫こうとしている真実を、大人の私たちが汚したり妨げることのないよう。」の言葉が心に響きました。私は、夏に佐藤敏郎さんの講演を聞き、大川小について改めて知りました。さらに「あの時、大川小で何が起きたのか」を読み、「真実を妨げるもの」があったことを佐藤さんの話や本から知りました。は「真実を語り続ける」哲也君の姿に敬虔な思いを感じます。桑山さんの活動や哲也君の言葉が、多くの人達の支えになる事を祈っております。

  7.  桑山さんの「哲也君が貫こうとしている真実を、大人の私たちが汚したり妨げることのないよう。」の言葉が心に響きました。私は、夏に佐藤敏郎さんの講演を聞き、大川小について改めて知りました。さらに「あの時、大川小で何が起きたのか」を読み、「真実を妨げるもの」があったことを佐藤さんの話や本から知りました。「真実を語り続ける」哲也君の姿に敬虔な思いを感じます。桑山さんの活動や哲也君の言葉が、多くの人達の支えになる事を祈っております。

  8. 津波で犠牲になった佐藤愛梨ちゃんの絵本、「あなたをママと呼びたくて、、天から舞い降りた命」の作者、空羽(くう)ファティマと申します。
    震災が起きてからあまりに哀しくて息が出来なくなり眠れない日々が続きました。あまりに悲しいことだからこそ、この震災で人々が大きな学ばなくては、と思い「命の大切さと、日々の尊さ」を愛梨ちゃんの、絵本として描きました。
    そんな震災で、てっちゃんも小学生には大き過ぎる試練を受けたにも、かかわらず、前を向き堂々と真実を話し続けるその姿勢に頭が下がります。
    そして、そのてっちゃんを支えてくれているこういう場所があったことに感動しました。素晴らしいと思いました。
    てっちゃんがいうような、「みんながきちんと向かい合う世界」に少しでも近づくように、てっちゃんの勇気に恥ずかしくない行動をてっちゃんの何倍も生きてきたオトナとして、できる限りのことをしていきたいとおもっています。
    とにかく、一人でも多くの人にてっちゃんのことや、大川小のこと、愛梨ちゃんのことを、講演会で伝えることをしていきます。
    何度でも何度でもいいたい。「てっちゃん、生きててくれてありがとう。わたしたちにたくさんのことを、教えてくれてありがとう」

  9. 今ニュースで哲也くんのこと知りました。
    校舎残して今後の災害対策に役に立てばいいですね。しかし、遺族によっていろいろな気持ちがあるので大変ですね。今後に伝えていく方法はいろんな形があると思いますが、校舎を残す方法だったら、博物館みたいに周りから見られないようにすることで見たい人だけが見ることはできないんですかね・・・。解体してほしい
    人と保存してほしい人の双方を配慮した方法が見つかればいいと僕は思います。

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