東ティモールより・その2

 今朝、うちの奈実香先生も高熱でダウンした(本人の許可を得て書いています)。
 マラリアか、インフルエンザか、ただの風邪か・・・。
 こうして考えてみると、病気はまさにテロだと思う。
 いつ何時、どんな形で襲われるのかわからない。だから人々は不安になり、そこから身を守ろうと必死になるのだろう。ただテロの相手は人間だけど、病気の相手は「病気」という本来は見えない存在だ。でも突然襲ってくる不安には抗いようがない。僕の周りの日本人がバタバタと病気になっていくと、やがて自分にもマラリアになる日が来るのだろう、とひとしきり不安になってしまった。
 そんなわけで、今日はメティナロ避難民キャンプの移動診療も、ティバールの結核療養所の診察も、僕一人ですることとなった。折からの雨期の雨でディリ市内は洪水状態だ。メティナロ避難民キャンプについても雨はおさまらない。掘っ立て小屋の中での診察だ。今回のスタディツアーのメンバーは国際協力に関する大学の学生、医学部の6年生、2年目の研修医、高校の英語教師と多彩である。しかし、みんなそれぞれに避難民キャンプの子どもたちと関わってくれた。野球の道具を運び込んでくれて、ひとしきり雨の中で野球。ペンシルバルーンでいろんなものをつくって大騒ぎ、じっと子どもの手を握る研修医。
 このスタディツアーの皆さんをこの地にお連れして良かった、と実感した。
 結局、黙々と診察だけを続けるが、自分のテトゥン語もずいぶんよくなってきたと、我ながら思う。やはり診察は直接言葉を交わしてなんぼ、という厳しい世界がある。東ティモールは自分にとって唯一、直接診察できる現場だ。これからも大切にしていこう。
 夜はダン先生の家でパーティだった。にぎやかにいろんな国のひとが集まり、僕も、日本人チームも歌った。
 激変の気候と、一向に問題の解決しない東ティモールの2007年が暮れていく。
 明日、一同日本に帰ため、バリ島に出ます。帰国は31日の朝です。
 今年もお世話になりました。
 来年もよろしくお願いいたします。
桑山紀彦
今回のメンバーとダン先生、シスター・ルデス

東ティモールより・その2」への1件のフィードバック

  1. 私が東ティモールのスタディーツアーに、初めて参加したのが2004年の12月。
    雨季のディリ市内は、毎日のように大雨が降り、そのたびに道路は、どろ水に浸かってしまいます。ちょうど台風時の、テレビのニュースのように、バンパー近くまで水に浸かった車が走ります。
    歩行者の、ひざ下の高さを見て、自分たちの車が行けるかどうかを判断するのです。それでも、車高の高い四駆はどうにかなるのですが、タクシーのような車(ほとんどがカローラやサニークラス)は、時々、水没している時があります。
    日本のように、道路は舗装されていないし、下水道も整備されていないので、まるで川状態です。
    気温も高いため、「これじゃあ、感染する病気は減るわけないわ」と、思ったものです。
    今だから笑い話になるけど、帰国してからも、今まで経験したこともない、2週間も続いた下痢と、マラリアの潜伏期間の5日間は、どきどきでした。
    なみか先生、早くよくなることを願っています。

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