中日新聞

今、パレスチナに入るためにドイツでトランジット中です。

 明日からガザに入り、いよいよ2008年以降途絶えていた「現地ラファ事務所」の開設のための仕事をしてきます。
 2008年に寺畑由美さんがビザの関係でイスラエルから退去となって以来、ずっと出張ベースで活動してきたパレスチナでしたが、今年は飛躍の年です。がんばって外務省からNGO連携無償協力を頂き、きちんと活動したいです。
 さて、6月19日(水)は中日新聞の人気コラム「私の先生」、桑山が登場します。
 いつもいつも恩師と仰ぐ山下勲先生のことを書きました。
 中日新聞は中部地方のエリア紙なので、全国の皆様には読んで頂けないかもしれませんが、ひょっとしたら東京新聞は中日新聞の傘下なので、コラム「私の先生」があるかもしれません。
 でも基本的には全国紙ではないので、このコラム用に書いた私の原稿を紹介させて下さい。当たり前ですが新聞記事より詳しいです。

質問1: 山下勲先生と桑山さんが同じ時間を過ごしたのはいつごろで、どのような先生と生徒だったのでしょうか?

→岐阜県高山市立松倉中学校の1年生~3年生です。何と3年間すべて山下先生が担任でした。子ども人口の増加で新しい中学校(市立、東山中学校)ができ、仲良かった友だちも再編成で別の中学校に行ったりしました。その影響もあって、なぜか山下先生が3年間ずっと一緒。昔はそんなことがあったのです。

 本当は技術家庭科の先生なのですが田舎町で音楽の先生が配置できず、この山下先生が音楽を教えてくださっていました。

 よく考えるとすごいことですが、そのお陰で今日まで音楽を続けることができています。

質問2: 山下先生との思い出の中で、最も印象的だった出来事は何でしょうか?印象的だった理由は?

→初めてレコードというものを貸して下さったのです。

 ジョンデンバーの「カントリー・ロード」という1971年発表の曲でした。生徒と教師の間では「貸し借り」などはあまり好まれなかったに違いありません。でも、劣等生だった僕が、「そのレコードを貸して下さい」といったのは、おそらく先生もびっくりしたのか、「そんなに頼むなら貸してやるぞ」と貸して下さいました。

 加えて、初めて人前でほめてもらったのも山下先生の音楽の授業中でした。みんなで合唱曲を歌った直後、紅潮された山下先生が言ったのです。

「今日は、嬉しいことがあった。この曲(「翼をください」でした)を大きな口開けて歌ったものが二人おる。それは桑山と梶田や!」

 初めて人前でほめられたこの時を忘れません。

 この2つの出来事は、僕にとって「音楽はとっても大切。コツコツとがんばればいつか良いことがある」と思わせてくれた出来事でした。

 今もずっと音楽を続け、医師をやりながらも年間200回以上の全国でのコンサートステージ「地球のステージ」を続ける大きな原動力になっています。

質問3: 山下先生に教えられたことは何でしょうか?また、そのころの桑山さんは、どのような夢をもっていましたか?

→でも、もう一つ印象的なことがありました。それは、山下先生が本気で怒ってビンタをしてきたことです。それは、何かをしでかして廊下で山下先生にしこたま怒られていたのにもかかわらず、同じ廊下を通りがかかった同級生に、恥ずかしさ故ですがちょっと手を振ってしまったのです。

 すると山下先生は烈火のごとく怒りました。

「なにやっとるんや!まじめに聴け!」

 手の甲のビンタが頬に飛んできました。

 もともとやせこけて「カマキリ」と呼ばれていた先生ですから、そのゴツゴツした手の甲がどれほど痛いか、想像に難くありません。その時に、

「ふざけていると、人は本気で怒る。ふざけちゃいかん」

 という事を学びました。

 今は「体罰禁止」などと、先生が生徒を殴ったら大変な世の中になってしまいました。でも、子どものころは、他人に本気で怒られなければならない瞬間があるのです。親ではなく、他人に、本気で怒ってもらう事は、本当に大切なことです。それを山下先生はきちんと教えてくださいました。

 今、先生たちに聞くと

「今この場で、こいつを殴った方が、こいつの人生のためには絶対いい!と思う瞬間はたくさんある。でもやはり殴れない、たたけない。体罰禁止だから。」

 とおっしゃいます。また、

「でも、そうやって殴っても、ほとんどの親は文句など言わない。”よく殴ってくださいました“と、そのことの本質を親はちゃんと解っている。やっかいなのは、それを見ていた別の生徒が家に帰って親に告げ口して、事が尾ひれ背びれ着いて大きくなることである。だから、先生たちはみんなたたかなくなってしまった。」

 残念です。

 本気で怒ってくださった山下先生が、僕に「道」を教えてくれたのです。

質問4: 今の桑山さんの取り組み(心療内科医、国内外での被災地支援など)に、山下先生の教えはどう影響していますか?

→「待つこと」です。

 僕は中学校3年生のころに荒れてしまい、自分の卒業式から帰ってきたとき、ある事が理由で暴れ補導されてしまいました。そんな至らない僕に対して山下先生はいつも言っていました。

「お前は、いつかちゃんとわかるようになる。」

 最初はよく意味がわかりませんでした。でも、それは、

「お前ならやがて気づける。お前ならやがて成長して自分の愚かさに気づける日がくる。」

 という意味でした。つまり、先生や心療内科という仕事は、「待つ」事。その場で決めつけてしまわないで、

「いつか気づく」

 とじっとそばで待ち続けること。その大切さを教えてくださいました。だから、外来でもその目の前の患者さんの成長や気づきを寄り添いながら「待つ」事が大切であると日々思っています。

 あるいはステージで訪れた学校が荒れていて、一部の生徒さんが荒れていて、騒ぎ声を出していても、決してステージ上から怒ったりはしません。常に、

「君たちは今はそうかもしれないが、いつかちゃんと気づく日がくるだろう」

 という気持ちで待ち、ステージも全体を見渡しながら進めています。それは、山下先生の「成長を信じて待つ」事の大切さから来ているものなのです。


質問5: 現在の山下先生と桑山さんの関係は?


→新聞やテレビに出ると、喜んでくださっていると、いろんな人から聞かされます。今でも我が故郷、高山に住み、合唱や三味線といった音楽を続けているすばらしき人物です。だから、時々ふらりと市内七日町のご自宅に顔を出して、

「先生元気?」

 と声をかけます。すると、

「お~桑山!この間テレビ見たぞ~!がんばっとるなあ!」

 そんなつながりです。

「音楽のすばらしさ」「本気で怒ることの大切さ」「成長を信じて待つことの大切さ」

この3つによって、僕は世界の紛争地に出かけ活動し、被災地にあってもあきらめずに

活動を続け、ひたすら全国の学校を回って歌い続けていくのです。

 最後は御嶽山の麓、上宝村の日和田中学校の校長先生をされて、退職されました。

 最後まで小さな学校にいらっしゃって、校長といえども音楽を教え、生徒たちと日々接して教師人生を閉じられました。山下先生らしい「校長」であったと思います。

 そんな山下先生が今年の8月16日の高山市内で久しぶりに開かれる「地球のステージ」を楽しみにされています。このステージは、飛騨出身で、現在岐阜大学医学部に進んだ「“地球のステージ”に影響されて医師を目指している若者たちの集まり」で企画されています。そんな、自主企画に山下先生はもう何度も見ている「地球のステージ」を見に来られるでしょう。

 「音楽のすばらしさ」「本気のすばらしさ」を共に、分かち合うために・・・。


桑山紀彦

中日新聞」への9件のフィードバック

  1. ガザに行かれるんですね。
    皆さんが首を長くして待っていらっしゃることでしょう。
    どうぞ気をつけて。明ちゃんにもよろしく。
    中日新聞じゃ読めない、と思ったら、記述がありうれしかったです。
    いい師との出会いは有難いことですね。
    私も小学校の先生に贈られた言葉を理解できたのは大人になってからでした。
    すぐにはわからないけど含蓄のある言葉は時を超える贈り物だと思います。

  2.  あなたが大きな口を開けて歌い、それを山下先生に褒められた話は知っていました。しかし、その歌った曲が「翼をください」だったとは…!私の一番好きな歌です。特に2番の歌詞「子どもの頃 夢見たこと 今も同じ 夢に見ている」が好きです。私は子どもの頃「正義」に憧れ、それを実現することを夢に見ました。それが法律学者になった大きなきっかけでした。しかし、過日あなたからアドバイスをいただいたように私は「絶対的」正義を追求し過ぎていたのかもしれません。これからは、もうひとつの正義、「相対的」正義へのシフトを心掛けていきますね。

  3. 桑山さ~ん、今日の中日新聞の「私の先生」は違う方ですぅ(>_<)
    予定が変わったのでしょうかね。
    楽しみにしています!
    ガザの活動が順調に進みますように!

  4. 中部地方の皆様。
     申し訳ありません何かの変更があり、19日ではなく26日なのだと思います。
     いま中日新聞の大島記者にメールで確認中なので、お待ち下さい。
     「19日である」と確実に聞いた話だったので、申し訳ありません。
    桑山

  5. こんなに深く、心から信頼できる人が居られるなんて幸せですね。
    そして恩師の薫陶をしっかりと身に着けた桑山さんは立派の一言です。
    記述を読んでいて和やかな気持ちになりました。

  6. 中日新聞記事は26日(水)で決定となりました。
     前日に担当記者さんに知らされたそうです。
     26日(水)、お待ち下さい!
    桑山紀彦

  7. お久しぶりです。
    いいお話しが 聞けて とても嬉しいです。
    ガザ気をつけてお仕事してきてください。
    三郷で お会いするのが 楽しみです。
    お身体に気をつけて 帰ってきてください。

  8. 今朝、中日新聞、読みました。
    桑山さん、とてもいい笑顔です(*^_^*)
    山下先生、素敵な先生ですね!
    先生との出会いって、大切だと思います。
    全ての子どもたちが、学校に限らず どこかで 褒めてもらえるといいな…

  9. 今朝の中日新聞(私の先生)を読みました。さっき電話で先生とお話ししましたが、山下先生は私に、読んでくれたのか!!ありがとう(^o^)と言って、とても喜んでいましたよ。飛騨高山から山下先生も松中同級生もみんなが、くわやんの活躍が嬉しく、いつも応援いしてますよ(^o^)v

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *