ヒロシマ再び

広島平和文化センターが年に1回繰り広げる「国際交流・協力の日」。

 小川さんという一人の女性が奮闘して様々な団体をまとめ上げ、広島市に所属する(公財)「広島平和文化センター」やJICAが主催して繰り広げるお祭りです。
 2007年。広島の有志が立ち上がって開いた「ステージ1」を見た小川さんがたいそう気に入ってくださり、それから毎年広島でステージが繰り広げられてきました。その中で誕生したのが「ステージ5」に入っている「ヒロシマ篇」です。
 広島平和記念資料館(祈念ではありません)の学芸員の下村さんにお世話になり、資料館全体の協力を得て1946年3月の実写フィルムをハイビジョンに起こして制作していった「ヒロシマ篇」。もちろん初披露目はその2007年の秋の広島公演でした。
 以来全国でこの「ヒロシマ篇」は人気となり、学校によっては「ヒロシマ篇」が入っているからということでいきなり5番からの依頼を頂くこともありました。
 そんな広島平和文化センターと「地球のステージ」の連続公演も今年はやり残していた4番を最後に「終了」となる予定でした。
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 今年の4番には「震災未来篇」を入れて、ヒロシマへのおもいのたけを綴りました。なぜなら今被災地は危機に立っているからです。それはあまりにたくさんの被災物が失われていっているから。このままではいつの間にか、被災を物語るものがみんな失われ、単なる「更地」になってしまう危機感があります。旧大槌町役場、陸前高田市役所や体育館、南三陸町防災庁舎・・・。たくさんの建物が「解体」を決められ、失われつつあります。
 しかしその一方で最初は遺族からの反対で解体が決まっていた南三陸の防災庁舎が、全国から慰霊に集まる人々の祈る姿を見て考えを変えていき「保存」の方向に意見を改める遺族が出てきたことで状況が一転。南三陸町は「まず対話を」ということで、早急な解体を停止しています。
 それはとても正しいことだと思います。
 我が名取市でも、いつの間にか解体された公民館。一体どうなっているのか・・・。下増田の赤い消防車だって関係者の強い反対でつぶされようとしています。遺族の一人はきちんと「保存」を望んでいるのに、です。
 だから、この時期にヒロシマに行きたかったのです。ヒロシマが何を残してきたのか、その苦悩と勇気から今こそ学ぶ時期なのです。
 実はあの原爆ドームも長いこと「放置」されていました。立ち入り禁止の粗末な塀の向こうにドームは朽ち果てようとしていました。しかし、白血病で亡くなった楮山(かじやま)ヒロ子さんが残した日記がきっかけで一気に保存運動が始まります。
「あの痛々しい産業奨励館(現在の原爆ドーム)だけがいつまでも恐るべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう・・・。」
 保存を求める声が高まる中、昭和40年から広島市が乗り出してきちんとした保存へ向けての動きが積み重なっていきました。そしてついに1996年に世界遺産に登録されたのです。
 「残そう」というものはいつも悪者扱いです。
 「つぶせ」という人は
「もう辛くて見たくないんだ。なんでそんなものを残しておくのか。」
 と辛さを強調します。しかしそれはすなわち向き合っていないことを示していると思います。向き合えていないからそこから逃げようとして「解体」「破棄」「つぶせ」といっていると思います。
 勇気を出して向き合えば、その被災物がどれほどの意味を将来にわたって持ちうるかの意味が見えてくると思います。このままでは5年もすると、
「津波っていつ来たっけ?」
となり、また
「津波がきても50cmさ。」
といってタカをくくってまた多くの人が死ぬ事態になりかねません。たくさんの命が犠牲になって残してくれた遺産をきちんと保存し、後世に伝えていく役割を担ってもらう事こそ、「供養」なのではないでしょうか。
 被災地全体がこの「残すかつぶすか」の危機的事態に直面している今、広島人の歴史、知恵、勇気、知見が必要なのです。そしてこれから私たちは多くのことを広島に学び、それを被災地に活かして「残していくもの」をきちんと保存していく必要があると思います。その意味において、広島の関わりはこれからもっと必要不可欠です。
 そんなステージとなった日曜日。ステージが終わってしまい、
「来年はないのか・・・。」
 と落ち込んでいたら、センターのスティーヴ理事長が
「なんで来年やらないの?」
というし、小川さんも
「そういえば1番はやってないわね。」
と来て、今年いらっしゃった大磯部長も、
「字幕つけてくれると来年もやれそうだね。」
ということで主要のVIPお三方が来年のステージを約束してくださいました。
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(向かって左が大磯国際部部長、右が小川さん)
 まさに「帰ってきた“地球のステージ”」
 来年は英語に対応した「Bilingual(バイリンガル)版“地球のステージ”」で逢いましょう!
 やった~また広島に還れる~!
桑山紀彦

ヒロシマ再び」への6件のフィードバック

  1. 平和公園も紅葉がきれいですね。懐かしい風景です。
    「残す」選択には勇気が要りますが、未来の人のために残してほしいと思います。
    広島で来年もまた地球のステージが開催出来ることになり、ホッとしました。

  2. 広島公演、なんとか来年もつながりそう。
    良かった!
    広島県の皆さん、帰ってきた地球のステージ。1からやって6まで!やらにぁいけんで!

  3. 最初に見た広島の地球のステージ人が少なくて、もったいない。と思うたっけな。回を重ねる毎に会場に足を運んでくださる方も増えて、ラストステージ。来年も開催良かったです。小学校 中学校 高校へと、広島も広がるといいなぁ。一緒に行ったお友達が、ここはみんな来ないといけないって、ポツリと言いました 。9年前に神奈川でステージを見た子が足を運んでくれたり、長く続くって、再開という楽しみもありますね。

  4. 人災と天災の違いはあっても、伝え残さなければならないことは同じですよね。
    祈念館を作ろうという熱気が持続しないのが心配です。
    忘れない!忘れない!

  5.  小川さん、こんばんは「桑山おっかけ福岡ミセスグループ」の東風(はるかぜ)小学校の水﨑です。
    2010年にそちらにおじゃました際は大変お世話になりました。
     来年も広島で「地球のステージ」が開催されると聞き、大変喜んでいます。是非、来年はステキな小川さんにもお逢いできることを楽しみにしています。

  6. 今年の広島公演の日は
    とても迷ったのですが、
    宮崎の綾町の環境フォーラムに
    出かけていたので、
    参加できずに残念でした。
    綾町にはユネスコパークに認定された
    「てるはの森」があります。
    高度経済成長期に伐採して開発しようという動きが
    あったようですが、
    岩山だったことが幸いして
    開発を免れ残すことができた一万ヘクタールの
    照葉樹の森はとても豊かな生態系であふれていました。
    何もかも残せばいいということではないでしょうが、
    壊すのは本当に簡単です。
    でも、後から作るのは本当に大変だし、
    森や海や生態系等再生不可能なものもたくさんあります。
    勿論、建造物でも壊すのは簡単でしょうが、
    本物のメッセージを伝えてくれるモノたちは
    熟慮に熟慮を重ねてからでも
    遅くないと思います。
    長崎に原爆遺産が少ないのは
    当時の大きな権力が動いて
    壊されたからだとも聞きます。
    原爆ドーム、綾町の森、上の関の海、
    意志持つ先人の手に守られたように
    東日本の今を本物のメッセージとして後世に伝える事も
    とても大切だと思います。
    応援しています。

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