歩いて心に刻む確かな証

 一昨日14日日曜日は第6回震災復興「閖上ウォークラリー」を開催しました。

 1年7ヶ月を経過した現在、晴れ渡る空と秋風に吹かれて群生する閖上を離れし蝶に谿深し秋桜、野に黄昏の芒が揺れる更地の被災地閖上地区。その場所へなんと!50人のスカイルーム児童ご家族や親戚ご友人知人など「閖上人」や閖上にゆかりのある人々が足を運んで来られました。

 未だに震災と向き合うことが怖い、話すことも出来ない、海にも行けない、心を乱されまいと抑圧し回避している方々が本当に沢山いらっしゃる2年目の現実。

 これまで津波で全てを奪われ壮絶な被災体験と人生の大きな喪失が残る地元閖上に足を踏み入れることを避けていた方も、自分が崩れてしまいそうな不安と怖い気持ちを抱えながら勇気を出して参加しています。

 単に個人で歩くだけでなく、長距離を共に歩むグループを組んでウォーキングコースを設定しました。

 ここで活躍したのが2010年11月版「ゼンリン住宅地図」でした!震災発生以後、それまでの地図は使えなくなったはずなのに、そこに暮らしていた人々にとってはスタッフお手製の閖上全体地図に記されている自宅はもちろん地元の仲間である住宅持ち主のお名前、商店や工場や職場や幼稚園に学校に公共施設など全てがありありと思い出されるのでしょう。広げられた地図に徐々に意欲も沸き立ち子どもも大人も釘付け真剣な眼でドンドン見つけてゆきながらコースに記入して…DANONE提供ミネラルウォーターを携えてから、全員で「俺たちはやるぞ~!」のかけ声と共に、いざウォークラリー約2.5kmの道程へと出発!

 立ち寄るポイントを目指しながらみんなで歩を進める途中に語られる地元ならではの話に会話を促進しながら私たちに教えていただく閖上の街、暮らし、被災、人の記憶の数々…

「この家の人たちも全員が亡くなったんだょ、じいちゃんと孫息子が居たんだぁ」

「串のたこやきでソースにどぶ浸けのとこ(お店)はココよ!ほんと開いているほうが珍しいんだから」

「うちの実家から近所のところに建てたんです。うちら家族の住んでいた家がココ…高級住宅!」

「この幼稚園がうちの子と○○ちゃん姉妹と●●くんとそのお兄ちゃんも通ってたから…」

「何処ここ?…この駐車場?…あっ!正月の餅つきに来たところ!」

「遊んでいるうちの子を自転車で探しに出かけると大体ココあたりで見つかって、それでお菓子を買っていつも家へ帰っていたんです」

「この先がスナックで飲み屋!閖上の飲み屋なんて仙台にあるような物と違うから笑、酒が出てくるまでに時間がかかってさ、自分でお酒を注ぎに行ってたんだから(笑)」

 軽い口調で吐き出される嘆き節、あの日の被災の出来事も、愛おしみを持って説明して下さる在りし日の人々の息づく暮らし、密集した住宅街の中で自転車が活躍していた細道、幼小中を持ち上がりで送る学区、ご近所の子どもですら自分の子どものように付き合ってきた自然体に接する地域性、伝統や歴史など…。地元の人々が心情を含んで語るその声からありありと風景を想像させ、周囲に共感を膨らませて想い出話は尽きません。子どもたちの遊ぶ姿や明るい笑い声も同居しながら人々は温かい秋の空の下を歩いていました。

 記憶の紡ぎ出しを聴きながら、私は自分自身が覚えている2011年3月のガレキ一面となった惨状の風景を想い起こしていました。

 いま、こうして歩くことができる道も、跡地を見つけられる住宅基礎も、風に揺られる植物たちもあの頃は全く見えなかった、文字通り全てが破壊されたグレーの世界であったと…。教えていただく語りが、これまで亡くなった750人弱の閖上という土地で生きてきた声亡き人たちの代弁者でもあるように語られているようで、こんな時はなんとも深い感情が溢れて、涙も受け止めて共有させていただきながら歩きました。

 ウォークラリープログラムのもう1つの仕掛けは、参加者みなさまの自宅やお店など想い出の場所を訪れて撮った「証の写真」です。更地となり雑草が茂っている自宅跡地を訪れて、暮らしていた家族が家の前で写りました。ある写真はその幼稚園の卒園生たちがなんと10代未満から60代以上まで並んで写りました。

食べにいった飲食店では美味しそうな表情とお箸を口に運ぶ仕草で写っていたり、みなさまココに生きてきた者として時に誇らしく、時に愛おしむように、ステキな表情で写りながら撮影している姿が被災地の更地の中にあって優しい空気に包まれて…泣けてきます。

 約2時間30分をかけて歩き、みんな無事にゴールした後は、大切な記憶の一つひとつを記録したシールと撮影した写真を「160cm×150cm特大地図パネル」に貼付けました。

 地図パネルを眺めながら「共有の時間」にみんなで想いおもい会話したり過ごした後には、宮城県の隣県、山形県立山形南高等学校の書道部、その名も書道BOYS!たちが今年8月の南高文化祭において被災地復興支援書道パフォーマンスで制作したタテ5mヨコ8mのこれまた特大の書道作品。これを被災地の人々へ向けて紡いだメッセージを書いた作品として完成させ、はるばる山形県から書道部部長と次期部長の2人が被災地の人々へ伝えるべく閖上へ駆けつけてくれたのです!この機会をつないでくれた桑山翔也くんも見守る中で「披露及び贈呈式」を行ないました。会場の人々へ向けてまっすぐに伝える高校生の姿は実に清々しさを感じます。作品が多くの人々に届くメッセージとして心に刻まれ支えとなりますように…。

 今年3月に発表された名取市復興整備計画では、閖上の現地再建方針による土地区画整理事業で閖上地区が土地かさ上げ3mの膨大な盛り土によって、いまの土地が地下深くに埋もれてゆきます。

 願わくば今回の「心に刻むウォークラリー」が野火のように各地へと広がって、被災地にある人々の震災を乗り越えるため自信と支える体験になればと願いつつ、参加したみなさまは心地よい脚の疲労と夕暮れの肌寒さに押されながら古里を後にして、今暮らしている自宅へと帰っていかれました。

 紡ぎ出した記憶のシールや写真たちが貼付けられて閖上地区中を埋め尽くした特大地図パネルは、まもなく「閖上の記憶」集会所で展示開始いたしますので、何回でも足をお運びいただき「ここに生きた確かな証」に触れて頂ければと思います。

 山形南高等学校書道作品の展示は「閖上の記憶」集会所以外でも披露展開しようと計画中ですので、南高生みなさまもお楽しみに!

▼山形県立山形南高等学校 南高祭2012「被災地復興支援書道パフォーマンス」

http://yamanan.weblogs.jp/syo/

▼15日付朝日新聞デジタル【動画】

http://www.asahi.com/national/update2/1016/TKY201210160112.html

宗貞 研

公益社団法人 日本国際民間協力会NICCO(ニッコー)

歩いて心に刻む確かな証」への4件のフィードバック

  1. ひとりでは歩けない道も皆となら歩いていける・・・。
    切なくなります。
    今週末20日土曜日 19時から
    岐阜県羽島郡笠松町にある笠松中央公民館3階大ホールで、ステージ6を開催します。
    お近くの方は、是非お出掛けください。
    お待ちしています。
    入場無料です。

  2. ブログが語る詳細を読んで参加された方々の心が開いて活性化して行く感じを強く受けました。
    間違いなく復興へ向けての気力に繋がることでしょう。
    大切な心のケアを続けるのは大変でしょうが、是非ステップアップしてください。

  3. 閖上ウォークラリー、みなさんの気持ちに沿った素晴らしいプログラムですね。
    少しずつ心の整理が進んで、前に向かえるようになりますように。
    山形南高校の書道部の活躍、うれしいですね。

  4. ケンケンさん、ブログでのご報告ありがとうございます。
    閖上で発信した「心に刻むウォークラリー」が各地へと広がりますように・・・・
    閖上地区の皆様の心の傷みがどうぞ和らぎますように願っています。

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