ヒロシマ、上陸

沖縄野外ステージを終えて翌日、広島へ飛んだ。
原爆ドームと平和記念公園を持つヒロシマ。そこは世界へ向けて平和への想いを発進している中心地だ。特に今回は「広島平和文化センター」という、その核たる団体が主催する1年で一番大きなイベントのステージに立たせてもらえた。
 広島では無名に近い「地球のステージ」を、こんな大きなイベントの中心に据えていこうとする広島の皆さん、そこには名よりも実をとろうとする先進性が強く感じられた。
 会場は満席に近い。しかし外のブースにも人がたくさん来ている。センターの主催するこのイベントが広く浸透している現れだ。会場は最初から暖かい雰囲気の中で始まった。
 今回は「地球のステージ2」。
 後半にある「旧ユーゴスラビア篇2」での語り。
 「今でもこのサラエボにはグラバヴィッツアのアパートの壁に銃痕が残されています。それは、サラエボ市民が、この愚かな戦争の傷跡を残すことで、後世への平和への想いを伝えたいという願いで残されているもの。それはまさにこの広島に原爆ドームを残し、大切にそれを守り抜こうとしている広島の皆さんの気持ちと同じです。」
 そして故郷篇は「広島版」とした。
 「地球のステージ2」の「故郷篇2」はイメージ映像が多いので、なかなかご当地版にはできないという制約がいつもある。けれどつくば市在住の伊井さんが撮ってくれた映像はステージ2の広島版を見事に完成させてくれた。
 終演、万感の拍手。そして終わりのコメント。
 「今日ステージで歌っていたら、この大地から立ち昇ってくる、人々の想いが伝わってきました。昭和20年8月6日、無念にも一瞬で命を奪われた原爆の犠牲者の皆さんの気持ち、“忘れないで”そして“もうこんなことは繰り返さないで”、そんな想いが大地から立ち昇ってきました。とても不思議な気持ちです。でも今、この広島の地に暮らしている皆さんがその大地から立ち昇ってくる亡くなられた人たちの気持ちを受け止めて、こうした素晴らしいイベントにつなげていらっしゃることが、最高のはなむけだと思うし、世界に通用する平和イベントの真髄をみた思いでした。」
 今年の8月6日には広島生協コーラスチームの皆さんによって、あおぎりコンサートで被爆ピアノの演奏に支えられて「国境に咲く花」が平和公園で歌われた。
 そしてすでに来年の依頼も頂いたのである。
 11月第3週の日曜日、今度は「地球のステージ3」
 ヒロシマと「地球のステージ」のコラボレーションに、乞うご期待!

ヒロシマ、上陸」への2件のフィードバック

  1. 沖縄から広島へ・・・
    どちらも戦争という名のもとに、とてもとても悲惨な形でたくさんの命が奪われてしまった地。
    私も2年間という短い間でしたが、この春まで広島にお世話になりました。
    平和の願いがとても感じられる街、そんな感じを受けました。
    このブログの桑山さんの終わりのコメント部分では、自然と目頭が熱くなってしまい、パソコンの画面が揺らいで見えました。これも、広島という地で過ごした2年間がそうさせたのかも知れません。
    もう2度と起きてはいけない、起こしてはいけない戦争。
    祈り続けたい・・・

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