原点としてのバイロピテ病院

今日はバイロピテ病院で働きました。

 現在は、自分たち独自の事業「ハトリア郡の妊産婦&乳幼児健康改善事業」を持っているので、いつも村に出かけて行っての診療が多いのですが、今日は原点に還ってバイロピテ病院の診療でした。
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 ここでテトゥン語を覚え、汗だくになって診察を続け、採血をオーダーし、投薬をして、膿の切開をし、骨折の添え木を当ててきました。自分が「医者」としての国際協力をいつもかみしめ、自覚を得る場面でもあります。
 院長のダン先生はどちらかというと、僕が小外科を得意としていると思っているのか、ケガをしたあとが膿んでパンパンに腫れ上がった皮下膿瘍の切開を依頼してきます。それは逃げるわけにはいきません。「見て見ぬふりはしない」と決めたときから、目の前に患者さんが現れれば、それは処置しなければならないものです。
 今日は二人の患者さんの切開をして膿を出しました。
 東ティモールは水道が整備されているのは首都ディリの20%のみです。あとは、くみ置きの水で手を洗い、顔を洗い身体を拭くのみです。なかなか身体を生活に保つことが難しいのが現実です。だから、ちょっとした傷からばい菌が入り、膿になっていきます。
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 一旦膿がたまった場合はやっぱり切開しなければなかなか良くはならないものです。消毒し、麻酔をして切開をし、血性の膿を出し切り、中に抗生剤を塗り込んだガーゼを埋め込んでいきます。医者がいなければ、看護師さんたちがしていくことになるこの小外科の切開。こういうときに看護師さんに見学してもらい、切開の方法を伝えていきます。そうすることでこの国の医療技術を上げていくことに少しずつ貢献していく。それが僕の取るべき立場です。
 人間の身体は複雑なところも多いけれど、一旦その構造を理解すると意外に単純なところもたくさんあります。それに沿って身体にメスを入れていきます。
 膿で脇の下がパンパンになっていた彼も、処置が終わって、
「あ~、痛かったけどすっきりした!」
 とのこと。また3日後に来て残りの膿を絞り出し、またコメガーゼを入れて傷の処置ですね。
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 ダン先生が言いました。
「今年は、不思議なんだよ。マラリアが全然いないんだ。」
「なんでだろう。」
「気象の変化だとは思うけど、大変不気味だ。ただ代わりにデング熱が激発の傾向だ。いずれにしても蚊に対しては注意していかないとな。」
 今欧米は夏休みに入り、アメリカ、イギリス、オーストラリア、フィリピン、中国、韓国からたくさんの医学生が駆けつけ、ダン先生の元で短い研修を受けています。いつも思うのは、全く日本人の医学生がいないということ。
 みんな自分で考え、インターネットでここを探し当て、個人的なメールを送り、ダンにYesをもらって自費でここに来て勉強していきます。みんな将来は国際医療協力に携わりたいんだと熱い気持ちで語ってきます。
 なぜ日本の医学生はいつも内向きなのか。これまで、何人かの医学生と共にスタディツアーでおここを訪れてきましたら、彼らはまだまだ少数派です。もっとたくさんの医学生がこのバイロピテを舞台に学んでいきますように、と願いながら診察していました。
 みんな、世界は広く、そしてみんなを待っているんだ!
桑山紀彦

原点としてのバイロピテ病院」への3件のフィードバック

  1. お疲れ様です。今日は移動なしの診療だったんですね。インターネットで調べて医学生がやってくるんですね。すごいなぁ。 東ティモールと言うと、アカペトを思い出します。会ったりする事はないですか?

  2. バイロピテ病院も相変わらず患者さんが多いのでしょうね。
    桑山さんの手当を見て学んで、看護師さんたちが出来るようになるんですね。
    たくさんの患者さんを抱える病院ではスタッフを育てることも急務ですね。
    ブログを読んでいる日本の医学生の皆さん、是非一度訪ねてみてください!

  3. 医学生だけでなく、日本の若者全体が内向きの傾向にあると感じます。桑山さんもあちこちの高校で公演してるから感じてると思うけど、最近の高校生、大人しくて優しいです。
    危険や競争を避けます。
    高校野球の応援でも「〇〇倒せー!」は禁止なんだそうです。
    教育の成果なんでしょうか?成果なんかなぁ?

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