東ティモール独立10周年

今日は、東ティモールの独立記念日です。

 ちょうど10年前の5月19の夕方、僕は首都ディリにいました。当時東ティモールのADRAという団体で働いていた日本人の宮澤さんたちと、独立記念式典に向かいました。手前5kmのところにクルマを置いて、てくてく歩いて会場まで行った覚えがあります。
 そして19時から式典が始まり、クリントン(当時は前)アメリカ大統領やヒラリー夫人(当時)、そしてコフィ・アナン(当時)国連事務総長が来ていました。シャナナ大統領(当時)がかっこよく挨拶をしていました。
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 そしてついに24時、独立の瞬間が来たのです。だから正確に20日の0時00分に東ティモールは国になりました。
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 それからあっという間に10年が過ぎてしまいました。まだ4割の人が極貧層にあるといわれる東ティモールですが、笑顔は失われていないと思いながら通い続けています。
 現在「地球のステージ」はオリジナルの事務所を置き、4人の現地スタッフと共に活動を続けています。現地のどこかの団体を応援していることを「活動している」と言い換えているのでなく、自分たちのオリジナル事業であることが大切だと思っていますが、維持のための費用は非常にかさんでおり、震災と津波ではたくさんの支援を頂くことができましたが、これから東ティモール事業はちゃんとてこ入れして現地のやる気を支えていかなければなりません。
 7月に渡航するまでには、専従の日本人スタッフを見つけなければならないと思っています。
 さて、そんな5月20日。日曜日だけど「閖上の記憶」は賑わっています。今日も全国からたくさんの人がこの閖上に来てくれています。今日は語り部として高野さんという方が立って下さいました。高野さんは閖上にあった「相馬屋」というお菓子屋さんの跡取りであり、地元消防団の若手ホープでした。しかし被災されてあの日は閖上小学校に避難されていました。その時の様子を実に詳細に語って下さいました。
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 とても有意義でした。
 ふと見れば閖上中学校には大きなバスが入っていました。
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 こうして、閖上は静かだけどたくさんの人に訪問されて、今日も納得でした。相変わらず休みを取らないりんりんとけんけんに支えられながら、事業はつづいていきます。
 桑山も14時間の時差と戦いながら新しい週に臨んでいきます。
桑山紀彦

東ティモール独立10周年」への7件のフィードバック

  1. 10周年を報じる新聞で、独立の陰で迫害を受け、いまだに心の傷が癒えない人がたくさん居ることを知り、「地球のステージ」がオリジナルの事務所で定着した活動をする意味が理解できました。改めて敬意を表します。

  2. 桑山さん お帰りなさい。
    留守宅を健気に守るりんりん、けんけんたち若者の報告を読みながら、改めて 桑山さんの偉大さを感じました。
    また 地球のステージが素晴らしいスタッフに恵まれたこと 嬉しく思います。
    人と人が つながっていく その人たちが しっかり生活出来る日本に しなくてはね~

  3. 今朝ほど、母が「閖上の記憶」の「番人」として仙台に向けて出発致しました。そちらの皆さまには却ってご迷惑をおかけするやも知れませんが、何卒よろしくお引き回しくださいます様お願い申しあげます。

  4. 久々のブログ訪問となりました。すいません。
    長田さんの思いつき(?)で、「ジオラマ展」、県内最大&2番目のショッピングセンターで開催できそうです。これからが準備・お願いの本番ですが、何かとよろしくお願いいたします。

  5. 桑山さん、お帰りなさい。お疲れ様でした。
    休憩しないスタッフの健康も心配ですが、桑山さんのお身体も心配です。
    どうぞ無理をなさいませんように。

  6. 地球のステージに出会わなければ、きっと今もまだ、東ティモールの事を知らないまま過ごしていたのかも知れません。
    あるファミレスに寄るたびに、東ティモールのコーヒーを買ったり、生協で見るたびにやっぱり東ティモールのコーヒーを買ってしまうことも無かったんでしょうね。
    そう意味でも、桑山さんたちは、私の人生を豊かにしてくれています。
    改めまして、ありがとう(*^_^*)

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