大盛況の週末

 今日は、名取エアリモールで始まったジオラマ3部作展示、初めての週末です。

 ドキドキしながら午前中、会場にいました。
 午前はまだまだ人がゆっくりと歩いていますが、午後になるともう大変。ものすごい人がそこに集まりはじめました。
 子どもたちは、同年代の子どもたちが創った「街」や「津波」、そして「未来」に興味津々です。
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 未就学の子どもたちにはちょうど目の高さが地面です。
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 津波の日の出来事が克明に表現されたジオラマでは子どもたち同士が語っています。
 この子たちもあの厳しい津波の日を切り抜けて、今そこにいます。
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 親子の会話も大切です。
 お母さんからの問いかけ、そして子どもたちの応え。
 こうして家族の中でも、このジオラマをきっかけに「津波の日のこと」そして「それからの1年」が語られていきます。
 止まっていた時計がまた少しずつ動き出す瞬間です。
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 メッセージボードはあっという間に一杯になります。みんなこうして気持ちを寄せてくれます。
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 自衛隊の方からの書き込みには感動しました。この方も修羅場を切り抜けて過ごし、今日平和な名取エアリモールでこのジオラマと出逢い、心の整理をされていかれたのでしょう。
 素敵なメッセージ、ありがとうございます。
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 子どもたちも頑張って言葉を選び、そして日の丸と共に署名してくれました。
 名前を持って生きているわたしたち。
 「匿名性」や「個人情報保護」などという、「まず人を疑ってかかれ」といわんばかりの悪習に奪われてしまった、「名前」の大切さを教えてくれるそうたくん、ありがとう。
 日曜日もごった返す人々が、このジオラマをどう評価してくれるのか。そして何よりスカイルームでこのジオラマを制作した一人一人の子どもたちが、後ろからそっと見に来て、
「やった!僕たちの作品が大ウケだ!」
 と思ってくれることが、何よりの自信の回復につながります。
 3月31日まで、これは続きます!
桑山紀彦

大盛況の週末」への8件のフィードバック

  1. ジオラマ完成おめでとうございます。子供さん達もご家族もそして関わった皆さんお疲れ様でした。大勢の目と心に刺激されジオラマ達は本当に完成してゆくのでしょうね。昨年と状況が大きく変わってしまった私は残念ながら見に行く事はかないませんがこのブログでしっかり見せていただいているしまた新聞かテレビかで報道されるでしょうから楽しみにしております。私がおばあさんになるころこの東北地方の被災者の子供さんのなかから迷える日本を引っ張っていける力を持った人物が現れるのではと心密かに期待しています。みんな頑張れよ!どこまでも見守っていきますよ!まだまだ寒い日が続くようです。皆様の健康をお祈りします。

  2. 桑山 紀彦 様
    多くの方が昨年の想いを書いてほしいですね。
    そのような中、そうたくんのがんばる日本
      ・・・実にすばらしいです。
    やはり自分の名前を書くことはとても重要なことです。
    ニックネームより名前があるのですから、
    親がつけてくれた名前は大事にしたい。
      国旗も大切にしたい。

  3.           最期の卒業式
     卒業式が終わって、賞賛の声が寄せられた。
     「いい卒業式だった。いやー感動したよ。あいつが、あんないい答辞を読むなんて」
     「教育委員会が、答辞を欲しいと言っています。是非、コピーをいただけませんか」
     「K君には感動しました。涙が、止まりません。K君も立派な大人になりましたね」
     来賓や職員から多くの賛美の声が寄せられた。いづれもが答辞にたいする感動の声である。
     答辞を読んだのはK君。
     K君は中学時代は勉強も悪い仲間と遊んでばかりいた。一旦は、全日制の高校に入学したが学校がおもしろくなく途中で退学をしてしまう。そして仕事を始めたのだが、仕事先の社長から「高校だけは出ときなよ」と意見され説得されたのをきっかけにもう一度高校へ行きことを決心する。しかし、父親からは
    「おまえなんかは、高校へ行ってもどうせ続かないだろう。中退するに決まっている。全日制を辞めているではないか。定時制でも同じ」と反対される。しかし、K君は
     「これは、僕だけで決めたとこではない。僕を仕事に雇ってくれた社長との約束でもあるし、おやじとも約束する。定時制は必ず卒業してみせる」。そういってK君は父親を説得したのである。
     K君は四年間働きながら学校に通ったのである。
     K君が定時制3年のとき、父親が病でなくなった。父親はK君の卒業式の晴れの姿を見ることができなかった。
     K君は、答辞で言った。
     「天国で僕を見ているおやじ。答辞を読む僕を誇りに思ってくれ。僕は、社長とおやじとの約束を守ってここに卒業します」
     答辞を読みながらK君は泣いていた。
     これは、ボクにとっては最後の卒業式である。最高の卒業式かもしれない。
     しかし、淋しい気持ちが胸の中に込み上げてきた。卒業生と別れるからではない。どんなに褒められても、どんな賞賛の声を浴びても自分には納得のいかない寂しい卒業式なのである。
     どんなお褒めの声よりも、ボクには「司馬遼太郎」の”声”が胸に響いてくるのである。
     
     ------ただ、さびしく思うことがある。
     私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
     私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
     君たちは、ちがう。
     21世紀をたっぷりみることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。
     もし「未来」とう町角で、私が君たちを呼びとめることができたら、どんなにいいだろう。
     「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」
     そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。(中略)
     君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
     同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
     私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
     書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
     -------司馬遼太郎「21世紀を生きる君たちへ」より抜粋。
     
     どんな賞賛の声を浴びても最後の卒業式でわかったことがある。
     ボクは「先生」と呼べる人にこれまで出会ったことがなかったということである。
     司馬遼太郎のこの一文を読んだとき、思わず「先生」と呼ばずにはいられなかった。
     「司馬先生!」と、
     一度もお会いすることがなく(当たり前だが)、そしていまはもうこの世にはいない人を、「先生」と呼びたい。
     ボクは、こういう人に出会いたかったと思う最期の卒業式であった。
             和歌山   なかお
     

  4. 大盛況!おめでとうございます!
    皆さんの書かれたメッセージ、宝物になりますね。
    子ども達の頑張りが地域の皆さんの力になって、つないでくれますね。

  5. しつこいんですが、このジオラマ、色々言ってた人々に絶対見て貰いたいです。ジオラマを見ている人の様子も。
    三部作、みたいです。

  6. 「わすれない」記録だけでなく「これから」への呼びかけを、沢山の大人達が見て真肇に復興のヒントにしてもらいたいですね。

  7. ジオラマが 皆にもたらすものの 大きさを ひしひしと 感じています。
    1ヶ月間か~ 行きたいなぁ~
    もう一年じゃなくて、まだ一年ですね。

  8. 郷土愛、心のケア、未来への希望、自己表現、自己実現
    そんなキーワードが私の頭を巡ります。
    ジオラマに、応援メッセージが加えられて
    心のケアがなされていく・・・のでしょうね。

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