利府のステージ

 今日は宮城県利府町のステージでした。

 ここにはグランディという大きな体育施設がありますが、数千人規模の遺体安置所になっていたところです。
 今日はその利府でのステージでしたが、最初に町長さんがそんな「直後」の話しをされていたのが印象的でした。内陸の街である利府町は町そのものに津波の被害はありませんでした。もちろん海岸線近くにいて亡くなった町民の方も数十名はいらっしゃいますが、名取市のように海岸線地帯が壊滅してしまうようなことはなかった町です。それでも、そうして遺体安置所を引き受け同じ哀しみを味わっていました。
 そんな利府町にある利府小学校の片平先生はJICAの海外研修経験者であり、かつ今は6年生の担任で、昨年もそして今年もたくさんの小学生を連れてきてくださっています。
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 やる気のある先生はいつも嬉しいし、宮城県にはそういう国際協力や国際理解に造詣の深い先生が多いことが嬉しいですね。
 6年生のみんなはもう中学校が目の前です。
 日頃逢っている閖上小学校の子どもたちの中にも6年生がいますが、もう「小学生」という感じではないですね。そして全国の小学校がそうであるように、恥ずかしさや照れが前面に出てきてなかなか意見が言えなかったりするものです。でも片平先生が連れてきてくれる子どもたちは目がきらきらしていて、積極的で、発言もしっかりしています。
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 消防士のおじさんを石巻で亡くし、いとこたちを心から心配して涙を流す6年生。
 「将来は医者になって、こういう救援の仕事をしたい。」とはっきりと自己主張できる6年生。
 避難所に暮らす親戚に、どんな言葉がけをすると心が安らぐのか、そのきっかけをつかもうとする6年生。
 みんな将来への希望を蓄えていました。
 例え直接津波の被害に遭っていなくても、同じ宮城県に生まれ、育ってきた者同士のシンパシー(共感)はとても強いと感じました。
 これからいろんなところで、いろんな立場の子どもたちが津波や震災について意見交換できるといいのにな、と思いました。
桑山紀彦

利府のステージ」への4件のフィードバック

  1. この子たちが一人でも多く、被災の厳しい体験を糧に反抗期を乗り越えて、素直に広い心の持ち主の立派な社会人になりますように・・・・。

  2.         21世紀に生きる子供たちへ
                         司馬遼太郎
     私は歴史小説を書いてきた。
     もともと歴史が好きなのである。両親を愛するように、歴史を愛している。
     歴史とは何でしょう、と聞かれるとき、
     「それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。」
    と、答えることにしている。
     私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。
     歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。
     だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは、ーーーーもし君たちさえそう望むならーーーーおすそ分けしてあげたいほどである。
     ただ、さびしく思うことがある。
     私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである。
     私の人生は、すでに持ち時間が少ない。例えば、21世紀というものを見ることができないに違いない。
     君たちは、ちがう。
     21世紀をたっぷり見ることができるばかりか、そのかがやかしいにない手でもある。
     もし「未来」という町角で、私が君たちをよびとめることができたら、どんなにいいだろう。
     「田中君、ちょっとうかがいますが、あなたが今歩いている21世紀とは、どんな世の中でしょう。」
     そのように質問して、君たちに教えてもらいたいのだが、ただ残念にも、その「未来」という町角には、私はもういない。
     だから、君たちと話ができるのは、今のうちだということである。
     もっとも、私には21世紀のことなど、とても予測できない。
     ただ、私に言えることがある。それは、歴史から学んだ人間の生き方の基本的なことどもである。
     昔も今も、また未来においても変わらないことがある。そこに空気と水、それに土などという自然があって、人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、それに依存しつつ生きているということである。
     自然こそ不変の価値なのである。なぜならば、人間は空気を吸うことなく生きることができないし、水分をとることがなければ、かわいて死んでしまう。
     さて、自然という「不変のもの」を基準に置いて、人間のことを考えてみたい。
     人間はーーーーー繰り返すようだがーーーーーー自然によって生かされてきた。古代でも中世でも自然こそ神々であるとした。このことは、少しも誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然をおそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものとして身をつつしんできた。
     この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
     ------人間こそ、いちばんえらい存在だ。
     という、思いあがった考えが頭をもたげた。20世紀という現代は、ある意味では、自然へのおそれがうすくなった時代といってもいい。
     同時に、人間は決しておろかではない。思いあがるということとはおよそ逆のことも、あわせ考えた。つまり、私ども人間とは自然の一部にすぎない、というすなおな考えである。
     このことは、古代の賢者も考えたし、また19世紀の医学もそのように考えた。ある意味では、平凡な事実にすぎないこのことを、20世紀の科学は、科学の事実として、人々の前にくりひろげてみせた。
     20世紀末の人間たちは、このことを知ることによって、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれるようになった。
     おそらく、自然に対しいばりかえっていた時代は、21世紀に近づくにつれて、終わっていくにちがいない。(中略)
     さて、君たち自身のことである。
     君たちはいつの時代でもそうであったように、自己を確立せねばならない。
     ・・・・自分に厳しく、相手にはやさしく。
     という自己を。
     そして、すなおでかしこい自己を。
     21世紀においては、特にそのことが重要である。
     21世紀にあっては、科学と技術がもっと発達するだろう。科学・技術がこう水のように人間をのみこんでしまってはならない。川の水を正しく流すように、君たちのしっかりした自己が科学と技術を支配し、よい方向に持っていってほしいのである。
     右において、私は「自己」ということをしきりに言った。自己といっても、自己中心におちいってはならない。
     人間は、助け合って生きているのである。
     私は、人という文字を見るとき、しばしば感動する。斜めの画がたがいに支え合って、構成されているのである。
     そのことでも分かるように、人間は、社会を作って生きている。

  3.  社会とは、支え合う仕組みということである。
     原始時代の社会は小さかった。家族を中心とした社会だった。それがしだいに大きな社会になり。今は、国家と世界という社会をつくりたがいに助け合いながら生きているのである。
     自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。
     このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。
     助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。
     他人の痛みを感じることと言ってもいい。
     やさしさと言いかえてもいい。
     「いたわり」
     「他人の痛みを感じること」
     「やさしさ」
     みな似たようなことばである。
     この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。
     根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
     その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分の中でつくりあげていきさえすればいい。
     この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。
     鎌倉時代の武士たちは、
     「たのもしさ」
     ということを、たいせつにしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格を持たねばならない。人間というのは、男女とも、たのもしくない人格にみりょくを感じないのである。
     もう一度繰り返そう。さきに私は自己を確立せよ、と言った。自分に厳しく、あいてにはやさしく、とも言った。それらを訓練することで、自己が確立されていくのである。そして、”たのもしい君たち”になっていくのである。
     以上のことは、いつの時代になっても、人間が生きていくうえで、欠かすことができない心構えというものである。
     君たち。君たちはつねに晴れあがった空のように、たかだかとした心を持たねばならない。
     同時に、ずっしりとたくましい足どりで、大地をふみしめつつ歩かねばならない。
     私は、君たちの心の中の最も美しいものを見続けながら、以上のことを書いた。
     書き終わって、君たちの未来が、真夏の太陽のようにかがやいているように感じた。
          ----小学校の教科書より引用ーーーー
                    和歌山  なかお

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