心の傷とは

 2日目、アリッサとザグレブ市内に出かけました。

 今回同行の優子ちゃん、そしていつも通訳してくれる満寿美スチグリッチさんと4人で街をゆっくりと歩きました。
 満寿美さんは今年71歳になるクロアチア在住の日本人ですが、内戦当時からありとあらゆるジャーナリスやNGOのワーカーの道案内をし、あのサッカーのカズ(三浦知良)がクロアチアのチームに在籍していたときはずっとそのお世話をしていたという、知る人ぞ知る有名な日本人です。
2/22-1
 向かって左から満寿美さん、アリッサ、僕です。
 そんな満寿美さんも、そしてアリッサも今回の津波のことを大変心配してくれているのですが僕はアリッサにいろんな事を教えてもらうことにしました。多少アリッサの心に負担になることもあるかと思いましたが、今、津波の被災地で非常に必要とされていることだと思ったのです。
「アリッサ、僕はこれまでたくさんのことを、この旧ユーゴスラビアの地で教えてもらったよ。心のケアも、みんなここが始まりだったからね。」
「そうだね。」
「いま、津波の被災地では心のケアが大切になってきているんだ。だから質問してもいい?」
「大丈夫だよ。」
「昨日、もう夢は見なくなったっていてたよね。」
「うん、10年くらいは見てたけど、今は大丈夫。」
「あの頃のことは語れている?」
「ううん、正直思い出したくないんだ。」
「じゃあ、あまり語れない?」
「そうだね。」
 アリッサの中であの時のことはやはり「蓋をしている」状況のようです。
「楽になっていったのはどうしてかな?」
「・・・まず“時間”かな。あとは自分のことを大切に思ってくれる人と一緒に過ごすこと。そして“お祈り”。」
「ドラガンと出逢えてよかった?」
「そうだね。」
 でも、そんなドラガンも仕事がなく借金が重なり、家財が差し押さえられたりしています。アリッサ側の家族はアリッサが今は一緒に暮らしているけれど、結婚はしないだろうと予測しています。
 ひとつには結婚して家族構成が変わるとアリッサが得ている4万円弱の「戦争被害者年金」がもらえなくなるからです。ドラガンがちゃんと仕事をして自立できた生活をしない限りはこの年金を手放すわけにはいかない。だから、結婚がどんどん遠のいているのが現状です。
「やる気がなくなったり、外に出たくなくなったりすることはある?」
「うん、時々あるよ。誰とも逢いたくない、一人で閉じこもっているだけの日も多いよ。」
 アリッサは18歳で高校を卒業したあと、洋裁の専門学校に2週間は通いましたが、そこで嫌な思いをして以来、全く働くことなく家で過ごしています。毎日、本当に何もすることなく生活している。もちろんパソコンの通信講座を続け、その資格はすべて取ったものの、仕事がなくそのまま家で過ごす日々がもう9年にわたって続いています。
 
 いろんな事情があるんだとは思う。でも、やはり今も心の傷にさいなまれて前に進めないでいる感じがしてなりません。確かにクロアチアは失業率も高いけど、そういった問題よりもアリッサそのものの「やる気」が枯渇しているように感じられてならない。それは、映画を作ってもらった2007年前後よりももっと悪化しているように思えます。
 働いたら年金は切られます。それも働かない理由の一つになっているのは、この地に暮らすクロアチア人の難民の皆さんすべてに共通することではあります。しかし、このアリッサのやる気の枯渇は一体何だろう・・・。
 それはやはり心の傷にさいなまれていることが最大の理由なのではないか、と思えてくる。それはアリッサがあの監禁拷問の4ヶ月のことを語らないで蓋をし、それが人生の断裂面になっているために、生まれてからの生きた記憶や、その後の人生にも継続性が感じられず、ずっとその場限りのずっとズタズタな感じが心をさいなんでいるのではないか、と強く感じました。
「将来は、どんな人になりたい?どんな人生を歩みたいと思っているの?」
「そうだね、思いやりがあって、人を支えられるような人になりたいと思うよ。」
「今回のことは神様が与えた“試練”だと思う?」
「・・・神様はこんなひどいことはしないと思う。津波の被害だってそう。神様の意志や試練だとは思わない。でも、人間はそういった突然やってくる悲劇を運命として受け入れて行かなければならないんだと思う。」
「・・・」
「それが人間の人生なんだと思う・・・。」
 アリッサはまだ闇の中にいると思いました。「時の薬」に癒され、人を愛し人に愛されることで回復した部分はあるけれど、まだまだあの時のことに蓋をしてその壺の中にある恐ろしい虐待の記憶にさいなまれていると思います。
 だからどうしてもやる気が出ず、困難をひっくり返そうという意志が持てず、ひっそりと引きこもった暮らしをしているように思うのです。もちろん、アリッサの場合は被害が6歳という年齢だったために語ろうと思っても語れない、つまり言語化できにくい年齢だったことも災いしていると思います。だから常に「嫌な感じ」にさいなまれており、その感覚的な心の傷の存在がかえって重いのでしょう。
 これが、これからの津波の被災地に起こったらどうしようと思うと、戦慄を覚えます。
 見た目に大丈夫な感じが出てきても、心の中にはやはり「語りたくない部分」があり「蓋をしておきたい記憶」があると、それが長期間にわたって人々のやる気を失わせ、意志をくじいてしまうのではないかという危惧が強くなります。
 就職や、結婚といった社会的な動きが全く出来ないで止まってしまっているアリッサの心の中の時間は、実際の時間が過ぎれば過ぎるほど重い負担となってのしかかってきているように思います。
 アリッサとはこれからも長く関わっていきますが、僕に出来ることはなんだろう・・・、自問自答の中で帰国してきました。
桑山紀彦
 

心の傷とは」への4件のフィードバック

  1. アリッサの閉ざした心の蓋は、とても重い物のように感じます。
    無意識に抑えられた恐怖の大きさは、本人にも表現できないと思います。意思でコントロールできない感情を、私も持て余し苛立ちを感じます。
    言い表せないものは負の感情で、体から出したいと気づきました。考えても出せないなら、体を動かそうと思いました。
    私も経験した恐怖から抜け出すにもまだ時間は必要ですが、
    アリッサの体験したこの世のことではないような凄まじい恐さは、アリッサが今日常の生活ができていることすら奇跡なのかもしれませんね。自分を守るための防御の蓋にも思います。
    アリッサの心の扉は一つは開いているのに、隠れた扉があるのかもしれません。いつの日かその扉からやさしく、強い温かいエネルギーが流れないかな。祈りを知っているアリッサに私も祈りを送ります。

  2. アリッサに「あ・き・ら・め」の気持ちがおきているようで心配です。
    やはり、天災と人災では心に受けた傷の深さが違うのでしょうか?
    国としての力も人々に暗い影を落としているように思います。
    課題が大きすぎて下手に気休めも書けません。
    世界的な支援を期待したいです。

  3.      エッセイスト・松上京子さんの講演会に行ってきました
     松上さんは23歳のときバイク事故で崖から転落、それがきいっかけで車椅子の生活を余儀なくされました。その後四年間は自分の人生をはかなみ、まったくなにもすることができなかったそうです。
     そのとき、母親や友人が松上さんを励ましてくれたといいます。特に励ましの言葉があった訳ではありません。ただ、いつもと変わりなく傍に寄り添っていてくれたというのです。普段と変わりなく、いつもどうりに接してくれた。そのことが松上さんに勇気を与えたといいます。
     一念発起した、松上さんはその後障害者問題を勉強するためアメリカへ留学します。障害者問題先進国のアメリカで多くのことを学ぼうとしたのです。カナダのユーコン川をカヌーで下ったり、水泳にもチャレンジしたそうです。
     現在、和歌山県田辺市に在住し、一男一女の母親でもあります。小学校の父兄奉仕活動は積極的に参加するそうです。夏の暑い日、他の父兄と一緒に草むしりに精を出したり、活動が終わった後の慰労会にも参加し、それだけでなくその後の二次会、三次会にも参加するそうです。
     車椅子では自分にできることは限られています。できないことを嘆くのではなくできることを見つけて活動するそうです。自分にできないことは他の父兄に遠慮なく頼むそうです。二次会、三次会ではお店が二階や三階にあることがあります。松上さんは遠慮なくおんぶしてもい他の健常者と同じ体験をするそうです。
     講演の最後に松上さんはこういいました。
     ーーーアラン「幸福論」より、『幸福であるから笑うのではない。笑うから幸福なのだ』と。同じことを、曹洞宗の開祖道元はこういいました。『和顔愛語』をもって接しよと。
     そして、最後に、マザー・テレサの言葉で締めくくりました。『笑顔の中に、神が見える』と・・・・。
     辛いからといって俯くのではなく、上を向いて、笑って生きませんか。
     バカなボクは、多くのことを学んだ講演会であった。
     
      和歌山  なかお

  4. パソコンを使って何か出来ることがあるといいのですが…。
    何もすることがない暮らしは息が詰まってしまうでしょうね。
    被災地でも、仕事を失った男性の居場所がないという話を聞いたことがあります。
    もうすぐ一年、拠り所のある暮らしができるようになるといいです。

ぷにゅ へ返信する 返信をキャンセル

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *