アリッサとの再会

 今日、クロアチアのペトリーニャに住むアリッサと再会しました。

2/21-1

 「地球のステージ」の2番、旧ユーゴスラビア篇に出てくるアリッサは、旧ユーゴスラビア紛争の被害者です。
 6歳の時、故郷の街ブコバルにセルビア軍が攻めてきて、彼女は6人いるうちの一番上の姉とその赤ちゃんの3人で郊外の工場の倉庫の中に監禁されました。毎日毎日ひどい拷問に曝されたアリッサは食べるものも与えられず、その赤ちゃんのためのおっぱいを飲ませてもらい命をつなぎました。
 4ヶ月後、クロアチア軍に救出されたアリッサは完全に言葉がしゃべれない状態になっていました。常にうつむいて誰が何を問いかけても何の反応もない、石のような心になっていました。それから2年後、アリッサが8歳になった時彼女は首都ザグレブの近郊にあるマラ・ゴリッツアの難民センターに引っ越してきました。そして、ザグレブ市内にあるPsychotrauma Center(心的外傷センター)に通い始め、僕と出逢いました。
 定期的に通う僕は、日々の治療を担当するセンターの医師、臨床心理士と共にアリッサへの関わりをゆっくりと深めていきました。そして、10歳、12歳と、彼女に絵を描いてもらう中でアリッサは「絵」を通じて心の扉をゆっくりと開けていき、ついに言葉を取り戻していきました。
 彼女が13歳になった時、僕はこの旧ユーゴスラビアの心のケアの仕事、「心理社会的ケア」が一段落することとなり長い別れを告げに行きました。その時、彼女は僕に1枚の絵をプレゼントしてくれたのです。
 そこには、
「 Srce Rajeno Moje」
=「私の傷ついた心」と書かれ、ハートに矢が突き刺さっていました。
 それを宝物にしながらも、その後他の活動地の仕事が忙しくなりアリッサとの距離が開いていったのです。そして9年の月日が流れ、2006年、アリッサと再会しました。
 映画「ありがとうの物語」で、監督の佐藤さんやディレクターの園田さんが探し出してくれたのです。アリッサはとても美しい女性になっていました。
 その後2007年、2009年と逢いに行き、アリッサの夢としての「パソコンの資格試験の合格」を応援してきました。
 そして2010年、アリッサはすべての試験に合格し夢を実現していきました。ところが現在のペトリーニャにまともな仕事がなく、現在も就職できないでいます。婚約相手であるドラガンとその両親と共に暮らしています。
 でも結婚はしないという。
 まずは結婚式のためにお金がない。ドラガンも同じ難民出身の左官屋さんですがまともな仕事ない・・・。八方ふさがりの中で、頼れるのはアリッサがもらっている「戦争被害者年金」のみ。それをテコにアリッサは結婚という道に踏み出すことをためらっているのです。
 5年続いた旧ユーゴスラビア紛争は、その終結である1995年から16年が過ぎてもなお、人々の生活に大きな影を落としています。
 ペトリーニャ近郊には、今も砲撃と銃撃で崩れ落ちた家が放置されています。
2/21-2
 その横には煉瓦積みしたところで建設をわざと止めている家がたくさん建っています。
2/21-3
 建設が終了すると固定資産税が発生しますが、作りかけにしておくと納税の猶予が得られるからこんな形の家が多いのです。
 暖房効率が悪いのに、経済的に苦しいためしょうがないのです。
 戦争は一旦起きてしまうと、こうして人間の一生を破壊していきます。心の傷もまた同じ。ちゃんと癒していかないとその人の人生を破壊していくことになりかねません。
「アリッサ、今も悪い夢を見る?」
「ううん、見なくなったよ。」
「いつくらいまでは見ていた?」
「そうだね、17歳くらいまで。だから10年見続けていたよ。」
 ちゃんと語ることが、やはり必要です。
桑山紀彦

アリッサとの再会」への7件のフィードバック

  1. ヨーロッパのイメージ、先進国で、平和で… だからヨーロッパで戦争がおきた時、テレビで仕事もなく貧困に悩める人々の様子を見た時、かなりショックでした。映画に出ていた彼が結婚相手の方でしょうか?人を好きになることか出来て良かったけど、次から次へと難題を課せられ切ないです。世界のあちこちで紛争がおこる度に、人間ってどうして戦争をするんだろうかと思っちゃいます。メディアで戦争がおこるとどれだけ大変か目の当たりにするのに。かがくをはじめ色んな事は進歩してるのに…
    昨日は13年前に山口の光市でおきた母子殺害事件の上告棄却が言い渡されました。色々な考えの方がいらっしゃるでしょうが棄却を聞いてほっとしました。知り合いでもなんでもありませんが。

  2. 旧ユーゴスラビア紛争小史
     ナチス・ドイツの支配に抵抗し、独立をリードしたチトー終身大統領の死去をきっかけに、旧ユーゴスラビアは六つの共和国、五つの南スラブ系民族が対立する危険な地域と化した。
     1991年にクロアチア、スロベニア、マケドニアが独立し、1992年にはボスニア・ヘルツェゴビナ、またセルビアとモンテネグロが合体してユーゴスラビア連邦共和国が新たに誕生した。セルビアを率いてきたミロシェビッチ大統領は、スロベニアとクロアチアの独立を認めず武力介入を決行。この結果クロアチアでは約6000人の死者を出した。
     ボスニア・ヘルツェゴビナはセルビアの武力介入に対して抵抗を試み、3年の歳月をかけて独立を守りぬいた。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナ国内に暮らすクロアチア人、ムスリム人、セルビア人の三つの勢力の間で民族浄化運動が高まり内戦へと発展していったのである。
     人道的な見地から欧米諸国がこの内戦に介入し、1995年にNATO(北大西洋条約機構)軍が空爆を敢行し、その結果、同年、和平協定の調印にこぎつけたが、死者は20万人以上、難民は340万人の多くに上った。多大な犠牲者をだしたのである。
     アリッサは、この犠牲者の一人であり、悲惨な歴史の証人なのである。
     桑山先生の活動に敬意を払いながら、戦争がない世界の到来がくることを信じ、微力ながら”地球のステージ”を応援しています。
       和歌山  なかお

  3. 日本の報道ではサッカーぐらいしか報じなくなった国~人種・宗教などで生じた内紛が20年たっても傷跡を残している。
    ショックです。(日本と言う国はこうした争いもなく、なんてノー天気なのでしょう)
    ブログを読んだ程度でも、生活に密着した所に生々しい影が見えます。
    改めて、伝えることの大切さを感じました。

  4. あの映画の後、アリッサは結婚して幸せにくらしているものとばかり思っていました。
    今日のブログは大変ショックです。
    仕事がないんですね。家を造りかけのままにして暮らさなければならないなんて…。
    一度不幸の底に行き着いてしまうとなかなか浮上できないのでしょうか。
    悪夢を見なくなったということは救いですが…。

  5. アリッサの笑顔に会えてよかったです。
    映像では、辛いお顔のアリッサですが素敵な女性になりましたね。
    大変な生活は続いているようで、お体は大丈夫なのでしょうか?
    生きていてくれて嬉しいな。厳しい生活も愛する人達と生き抜いて下さい。
    アリッサのお顔にとても励まされました。
    桑山さんお疲れ様です。桑山さんもお元気にお過ごしくださいね。

  6. 言葉を取り戻して婚約者もできたアリッサ。    
    輝く笑顔を見れて自分も感無量です。
    アリッサに幸多かれ。
           えちごの かつ

  7. アリッサちゃん。
    地球のステージの映像で出会いよく覚えています。言葉を失うほどの辛い経験を思い胸が痛みました。それから矢が刺さった心…胸にささる絵でした。そんなアリッサちゃんが言葉を取り戻し、目標をもち、叶えたこと。とても素晴らしいですね。先生をはじめたくさんの人たちの、あったかい支えがあって、アリッサちゃんの前に進もうという頑張る気持ちを呼び起こしたんでしょう。いろんな苛酷な状況があり、それを乗り越えてもまた厳しい現実があります。生きていくことは大変ですね。だからこそ生きていることが宝物に思えます。2月21日は僕が生まれてきたことを感謝する日。素敵な話をありがとうございました。

らる へ返信する 返信をキャンセル

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *