今日の閖上あみーず

 現在「閖上あみーず」は火曜日の「販売部」と木曜日の「手芸部」に別れて活動しています。

 木曜日は販売を意識せず、自分たちの楽しみやスキルアップを目指しての学習会のようなものです。
 今日は担当の悠ちゃんの機転で閖上ジオラマに自分たちの家を置こう!ということになりました。小学生たちが「在りし日の閖上の街」のジオラマを創る傍らで、多くの大人の皆さんが、
「わたしたちもやりたいな~」
 とおっしゃっていました。そうなんです。大人だって心傷つき、ふと未来を失ってしまいそうになるんです。そんな時に土台としての「閖上の街づくりのジオラマ」をすることで、元気を取り戻せたら、と思うのです。
 あみーずのメンバーは喜々として自分の家を創り色を塗っていきます。
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 あみーず代表の千葉先生も、すばらしい編み物の手を休めて今日は失われた自分の家の色塗りをされていました。
 「哀しいことを想い出させているんじゃないの?」
 という人がいるかもしれません。
 では、その哀しいことからいつまでも逃げ続けていていいんでしょうか。哀しいけど、それに向き合うことでそれを乗り越えて、夢や希望を持って行けるのが人間だと思います。今は失われてしまった自分の家の壁の色を想い出しながら、確かにそこに自分が生きていた「土台」を確認することが大切です。
 遺族会会長の丹野さん。
「私の家は青い屋根が目だってた。とってもお気に入りの屋根だったの。」
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 その家をそっと公民館の横に行きました。丹野さんは大切な息子の公太くんを津波で失いました。「閖上のおばけ」の主人公です。今は美田園の第二仮設住居で暮らしていらっしゃいます。
 大切な大切な家族の家。たくさんの想いを込めて置かれていました。いつか必ずもう一回青い屋根の家を建てましょう。天国の公太くんが一目見てもよくわかるように・・・。
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小齋洋子さんも見事なご自分の家を作ってくれました。
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 やっぱり大人はすごい精密に、そして丹念に創っていきますね。
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 どんなに素敵な家だったでしょう。
 根こそぎ持っていかれてしまった小齋洋子さんの家は、閖上2丁目です。「復興篇」で登場する小斎さんご夫妻のお話。夫の正義さんが言う言葉。
「たくさんの友人が亡くなって、毎週毎週が葬式だ。そんな仲間のためにも僕は絶対に閖上にもう一回自分の家を建てて死んで行きたい。小さくてもいい。自分の家を持つまでは絶対に死ねない。それが今の自分の夢なんだ。」
 そのご夫妻の暮らしてきた家です。
 洋子さんは他のメンバーが色を塗ってジオラマの中に置きに行くたびに駆け寄り、
「そうか、そこに家があったのね・・・。」
 といって心を寄せてくださいます。
 そうやってみんなの中に会話が生まれ、失ったものや得たものを確認して行く。まさに閖上あみーずで目指している心の復活の物語がこうして脈々と始まっています。
 切なくもたくましいこの閖上の人々に幸あらんことを!
桑山紀彦

今日の閖上あみーず」への5件のフィードバック

  1. ジオラマには思いであり、悲しみあり、希望あり・・・大人も子供も、人を包み込む素晴らしいものですね。
    国際クリニックに関わりをもてた皆さんは本当に良かったですねぇ~。

  2. お正月に帰省した時、独身の時の同僚(と言っても親と同じくらいの年の先生ですが)とジオラマな話をした時、「戦後、まだ大陸にいて、暴動が起きるのを目の当たりに見たのよ。夢に見たり、思い出すと鼓動が早くなったり、トラウマになってたのよ。数年前に自分と同じ様に経験をした人に会って初めて口にしたのよ。そのときの事を。そうしたら夢も見なくなったのよ。同じ経験した人と話をして吐き出すって大切だとおもったのよ。スカイルームの子供達、話せる場があっていいわね。」とおっしゃってました。私より長く山口で暮らしてるのにあんまり山口弁じゃないけど…
    朝起きたら東京も雪景色かも…です。

  3. 桑山 紀彦 様
    自分の家を置こう・・・すばらしいことでね。
    希望とたくましさを感じます。
      とても涙がこみ上げてきます。

  4.  ゆりあげアミーズの「レインボーたわし」は職場で活躍しているおばさんたちにプレゼントしました。おばさんたちは大変喜んでいました。
     もうすぐ、大震災から一年が経とうとしています。しかし、瓦礫の撤去はいっこに進んでいないとニュースが伝えています。これに対して石原都知事は次にようにいっています。東京都はいち早く瓦礫受け入れました。
     「各地方公共団体は当初の予定とは違い、今になって東北の瓦礫が持ち込まれることに懸念の捻をもらしている。放射能が怖いのである。東京都は放射能検査を何度もやり、徹底的にやり、その上で人体に影響がないという確信の上に瓦礫を受け入れている。いまになって、同じ日本人でありながら瓦礫は困るなどというのは、我欲以外のなにものでもない。日本人はここまで我欲に取りつかれたのか」と嘆くのである。ボクもまったく同感なのである。
     東北の人の痛みは、日本人の痛みではないのか。
     私たちは「我欲」に取りつかれてはいけないと、切に願うのだが・・・・・・。
      和歌山  なかお

  5. ジオラマ作り、大人もやりたかったんですね。
    そうして「心の復活の物語」につながっていくんですね。
    お互いに寄り添う気持ちが温かいですね。

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