1枚の写真から(最終回)~後ろ姿

 一枚の写真があります。

9/20-1

 風邪をひいて、熱が出たお子さんを連れてきたお父さん。うちのクリニックが24時間開け続けていることを知ってか知らずか飛び込むようにいらっしゃったのですが、インフルエンザではなくただの風邪だとわかってホッとしながら帰って行かれました。

 普通僕たち医師はあまり患者さんの後ろ姿を外まで見送ることはありません。診察室の扉を開けて帰って行かれる後ろ姿を立って見送るようにしていますが、外まで、ということはあまりありませんでした。

 家をなくされ、奥様を亡くされ、子どもと避難所で暮らしているお父さん。疲れて疲れて疲れ果てて、本当は奥様に子どもの病気などは任せてきたであろうお父さんが、今は自分しかやれる大人がいないので必死に看病をしていました。

「いや、うちのやつ(妻)を亡くして初めて、うちのやつが一生懸命子育てしてきたってことがわかりましてね。オレ、ホント自分勝手だったなって思ったんすよ。」

若いお父さんが言いました。

「洗濯一つ、食事一つつくれない。この子が何時に寝て、何時に起きてきたかも知らなかったんす。でもね、こうして何もかも失ってたった一つ命だけ助かってね、こいつと一緒に亡くなった母親の気持ちも乗っけて進んでいこうって今は思ってるんです。

 病院だって、どこがかかりつけだったかもわかんない。どんな薬で熱下げて来たのかもわかんなかったんで、今日はホント、助かりました~。」

そういって帰って行かれました。

 その時、僕は思いました。

「これでいい、この道を進もう。こうして寄るすべもなくした人、不安な気持ちを抱えた人たちが少しでも灯りを見つけられるようになるための活動をしていこう。」

 だから、どんなに疲れてもこの父と子の後ろ姿を思い出しながら自分を励ましてきました。病院から帰っていく時に、

「ああ、来てよかった!」

と言ってもらえるような存在であるべきだと、改めて思いました。それは医師としては当たり前のことなのですが、忙しさにかまけてしまうことが多い中で、この写真はまさにその医療の「原点」たるものです。

 見て見ぬふりはしない。それが国際協力をやってきた僕たちの生きる基本です。もちろんそれは時として誤解され、煙たがられたり、余計なことをしているように思われたりすることもあります。しかしその心情を曲げてはならないと思う。それは、やはり人間は人間によって支えられていくもだと思うからです。もちろんその人間同士が傷つけあうこともあります。でも謝る力だって人間は持っています。だから、その人間の接点は多ければ多いひどいいに違いない。時にマイナスになっても、必ずプラスに転ずると信じて・・・。

 この日は雪が降っていました。寒い小雪の降る中を肩寄せ合って帰って行く父と子の後ろ姿が今も忘れられません。きっと天に昇ったお母さんも、

「病院に連れて行けるなんて、よくやってるじゃない。」

と夫に感心しているでしょう。


 そして半年が過ぎました。

 僕たちの活動はまだまだこれからが本腰です。閖上小学校、中学校での心理社会的ケア&ワークショップ、下増田地域の子どもたちの心のケア、サッカー大会(10月16日)、いよいよ始まる手芸教室、遺族会・・・。課題はたくさんです。でも、これからも仲間を大切に支え合って活動を続けていきたいと思います。

 1週間、お付き合い頂いてありがとうございました。

 明日から通常のブログの内容に戻ります。

桑山紀彦

1枚の写真から(最終回)~後ろ姿」への11件のフィードバック

  1. 24時間病院が診療してくれるって、 どんなに地域の皆さん心強かったでしょう。夜、子供が体調崩すと不安で仕方なかった事を思い出します。これからも落ち込んだり腹が立ったり色々あると思いますが、ファイト一発!

  2.  9月21日午後二時三十分、台風15号は静岡県浜松市に上陸しました。
     危険を感じたボクは、いつもより一つ早い電車に乗って出勤しました。
     紀伊内原駅発十二時十分です。予定どおり電車は出でたのですが河の手前に来た時、電車はピタッと止まってしまいました。暴風のため、鉄橋を電車が通過できないというのです。しばらく待っているとようやく徐行しながら通ることができました。ところが一級河川の有田川の手前にくるとまた止まってしまったのです。川に設置した風力計が基準値を大きく超えたため、有田川を渡れないというのです。それでも三十分ほど待っていると風が小康状態になりました。その間隙をついて電車は出発しました。およそ五十分の遅れです。
     電車が箕島駅に辿り着いたとき、とうとう電車はまったく動かなくなりました。
     暴風により大木がなぎ倒され、線路を遮断してしまったというのです。しかたなく電車を降り、さてどうするか考えをめぐらせました。そのとき同じ方向から車で通勤している先生がいることを思い出しました。携帯電話で連絡を入れると近くまで来ているとのこと。
    「すいませーん、一緒に乗せてって」と頼みました。
     なんとか、そうしてなんとか職場までは辿り着いたのですが、電車の復旧は今のところいつになるかまったく分かりません。
     さて、帰りはどのようにして帰ろうか、悩むばかりです。
    「うーむ」と唸ってみても答えは出てきません。どうも悪い頭で考えても妙案が浮かばないようです。はてさて、こんなとき、地球のステージを支える皆さま方のように、聡明であったらと羨むばかりです・・・・・。
       和歌山   なかお

  3. 何時も ブログでいろいろ 教えていただいて 感謝です。
    私も この地で 今 私に出来ることを やっていきたいと思っています。

  4. 「後ろ姿」
    写真の親子の後ろ姿を見つめながら
    どうか、父子が悲しみを乗り越えていかれますように。
    いつの日か、
    『生きてて良かったな、良いこともいっぱいあるよな』
    と父子がたくさんの笑顔を浮かべられる日がくることを
    心の底から願っています。
    そして、その願いは全ての被災者の方々へも届きますように。

  5. 病気の不安を取り除いてくれるのがお医者さんですね。
    医療の「原点」を見つめる写真なのですね。
    地球のステージも皆さん、来て良かった!と言ってくださいます。
    それは心が元気になるからでしょうね。
    これからもクリニックとステージ、両輪でよろしくお願いします。

  6. 一週間の連載、ありがとうございました。
    震災後からこのブログをずっと読ませていただいていて、
    桑山さんって、何て強い人なのだろうと思っていたのですが、
    強い人というより、やっぱり、温かい人なんだと思います。
    温かいからこそ、強くなれる。
    やっぱり、桑山さんに出会えてよかった。
    これからも、いろいろ大変なことがあると思いますが、頑張ってください。

  7. 大変ご無沙汰しております。
    写真集、じっくり拝見させていただきました。
    御本も合わせて拝読させていただきました。
    今回の震災には、いったい何人の人が関わったのでしょう?
    その一人につき、どれほどの物語が残されたのでしょう?
    この2ヶ月間、コメントが途絶えていたのは、悩み抜いていたせいです。
    最後のコメントの2日前、私は無事今年の誕生日を迎えることができました。
    特に誰が祝ってくれるわけでもありませんが、あの3月11日を無事生き抜いた証拠だと思いました。
    しかし、一つ歳を重ねても、己の微力に変わりなく、その間も、先生はご自身が被災者であるにも
    かかわらず、他地域のワークショップや海外支援など、精力的に活動なさっていました。
    この2ヶ月間、己の微力さに悩み苦しみました。
    もちろん、金銭や物資の支援に関して欠かしたことはありません。
    しかし、それは一過性のものにすぎず、本来的な支援には程遠いかぎりです。
    そして、ようやく答えに辿りつくことができました。
    やはり、答えはここにありました。
    先生の御本を拝読し、写真を観ていくうちに、自分のなすべきことがみえました。
    私は被災していません。それがかえって、自責の念になっていることは以前お話ししたとおりです。
    それを逆手に取ればよかったのです。
    死者あるいは被災者の代弁者になること。
    それが、私にできるたった一つの支援だと気付きました。
    私が見聞きしたことを、より多くの人に知ってもらい、後世まで確実に残していく。
    その手法については、商売柄、熟知しております。
    ですので、再度立ち上がることにしました。
    どっちにしろ、ただふさぎ込んでいたところで、誰も救われませんから。
    今後とも、ご指導、ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします。

  8. ここでも、本来の「普通の当たり前」に気付かれた人が増えましたね。これも国際クリニックに“正心誠意(勝海舟の言葉です)”が存在していたからだと思います。
    一週間の写真、良い企画でした。
    恥ずかしながら、ずいぶんと気付かされることがあり「有難うございました」です。

  9. 「一枚の写真から」
    読みながら一週間、ずっと泣きっぱなしでした。
    あらためて、家族の有り難さ、や家族の絆、に気付かされました。今回の震災で、気付かせていただいたのだから、大切に生きなくちゃ!と思いました。
    子供に対して、 桑山さんのお兄さんの様な愛で見守る親になりたいなぁ。

  10. 桑山紀彦 様
    今回も読ませて頂き涙が止まりませんでした。
    後姿の写真、多くの方に見ていただきたい。
    背中ほどその人の心情を現すものはないとよく言われますが、
    辛い気持ちが伝わってきました。
    連載をいただき、とてもありがとうございました。

  11. ・・・じんときた写真でした。
    扉の向こうの高架は、電車??
    先生のように、このお父さんとお子さんのことを
    察して、気に掛けて下さる方がおられるということが何よりだと思います。
    このお父さんの亡くなられた奥様も「よくやってるじゃない」きっとそう思ってくれているでしょう。
    何よりの言葉です。
    強い言葉です。

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