初の展示という経験

 今日は山形南高等学校で文化祭、一般公開日でした。

 朝から気温がぐんぐん上がり、快晴の中文化祭が始まっていきました。

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 閖上分団の消防ポンプ車を展示用にお借りすることが出来て、設置した姿を見た時は涙が出てきました。そして、その中に全く整理されていない多量のヘドロと砂の臭いをかいだ時、頭の後ろがドンとたたかれたように「あの日」に戻りました。

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 まさに「津波の臭い」がそこにあったのです。そしていろんな事が思い出されました。でも、そこから来るのは苦しさではなく、

「あの頃はみんな大変だったけど、手を取り合って一緒に歩いていた。」

「99%の絶望と失望の中で、1%の希望を見つけながら生きていた。」

 ことが蘇りました。その瞬間、自分がある程度のことを乗り越えたことに気づけました。磨かないで、そのまま放置されていた被災消防車によって、過去へ戻り蘇ってくるのが「がんばったじゃないか!」と言うことだったことは、幸運だと思います。でも、たまたま僕はそういった前向きな気持ちになれましたが、すべての人がそうではない。この被災消防車とその砂とヘドロの臭いよって辛くて重く、いやなことしか思い出せない人だっていてもおかしくはないでしょう。

 さて、早速下増田分団の消防車が展示できなかったことを詫びる文言とその消防車のフリップの脇に、

「この被災した消防車を残すことについてどう思いますか。」

 と言うことで緊急世論調査をさせて頂きました。

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 結果は写真の通り。

 やはり「反対」が4人いるのです。

 すべてが「賛成」ではない。

 そんな中で南三陸町の防災庁舎を残すことに反対の意見が上がり、取り壊しの方向になっていることを記者さんに教えてもらいました。

 若い町役場のスタッフが最後の最後まで防災無線で避難を呼びかけてなくなったということで有名になった防災庁舎です。その女性の遺族は残すことに賛成とのことですが、他の役場職員の遺族が反対しているという。今やその防災庁舎は観光地化しており、観光バスが乗り付けたり、その前でピースサインをして写真を撮る輩がいるのを見た遺族が、

「耐えられない。」

 と言うことで「残す派」の市長に裁判も辞さない考えであると言います。

 今回、この閖上分団の消防車の前でピースサインで写真を撮る人などは全くいませんでした。みんな真摯に触れ、中をのぞき込んで、

「やっぱり津波は怖い。」

 と思いを新たにしていました。ちゃんと被災消防車は役割を果たしてくれていました。

 しかしこの南高等学校生で、名取に瓦礫撤去に来てくれた生徒さんが人の流れの整理をしていた最中に寄ってきてくれて、こんな話しをするのです。

「先生、今日は本当にありがとうございます。でも僕は歩さんたちの消防車が来ると知って複雑でした。本当に来てほしいという思いと、3人の方がなくなったその消防車をこんな“お祭り”のようなところに来てもらって、本当に良いのか、と自問自答していました・・・。」

「今はどう思いますか?」

「だからこの閖上分団の消防車で良かったと思います。この消防車では人は亡くなっていない。でも津波にのまれて全部水没し、その時の泥と共にあの日のことを伝えている。」

 なんと真剣で真摯な高校生でしょうか。僕は考えさせられました。

 下増田分団長や、一部の団員が反対していることを思いました。彼らとて彼らの思いがあります。それは、

「人が亡くなった消防車をむやみに展示したくない。」

 という思いでしょう。それは大事に接していかなければならないと思います。だからその点については、今後も話し合いだなと思いました。今回初めて名取の被災したものを名取以外に持ち出しました。そしてそれによるインパクトはやはり計り知れないものがあります。この閖上分団の消防車も残すべきだと思う。砂とヘドロと共に・・・。

 そしてすべての人が誠実に、真摯にこの被災した消防車に接してくれました。少なくとも隣県山形ではそんな姿勢の人たちばかりです。だから物見遊山で来る人たちではないイベントにおいて展示することは重要だと思います。それは、みんながちゃんと触れて、そこから非常に直接的に「あの日のこと」を心に蘇らせ、自分にとって必要なことを心の中で確認していける「作用」があるからです。

 思い切って行った今回の「被災消防車」の展示ですが、その効果を確認することができて良かった。やはり「津波祈念資料館」は必要だと思うし、何もかもがすべて急速な勢いで失われている被災地の今、何を残して何を忘れていくべきなのかをきちんと検証するべき時期に来ていると思います。

 それが被災地の半年目の課題です。

 「何を残し、何を忘れていくべきなのか。」

 重要なことを学んだ一日でした。

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 翔也君は実行委員&このブースの責任者としてマスコミに背筋を伸ばして応えていました。高校生っていいもんだ、と思いました。

 八王子から弾丸赤木が来てくれたのには、心底びっくりしました。でもやはり嬉しかったですね。

 心理社会的ケアスタッフは、悠ちゃんが少々体調不良でしたが、リンリン、ケンケンも真っ赤に日焼けしながら現場を仕切りました。特に図らずも担当となってしまったケンケンの動きはすばらしく、

「下増田分団被災消防車、搬出不可」→「閖上署に被災消防車の存在確認」→「許可と共にクレーン屋さんに急行」→「16時台に積載完了」→「17時台に山形南高等学校に搬入完了」の流れを実行できたのは、ケンケンのおかげです。昨日九州は久留米にいた僕は、名取市消防署との交渉や説得、お願いはやれますが、実際に現場で動ける人がいないとこういった仕事は成り立ちません。大活躍のケンケンでした。

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 見学する親子に丁寧に解説するケンケン

 

 そして南高祭はかつてない盛況の中に終了していきました。そして僕たち「地球のステージ」チームも16時前に撤収。初めての被災消防車の展示、初めてつくった写真パネルの展示、緊急世論調査など、高校の文化祭という胸を借りて行った対外活動第1回目を終えました。

 今後もこういった「直接伝えていく活動」をステージ以外でも何らかの形で出来たらと思っています。その際は「下増田分団の被災消防車」なのか、それとも「閖上分団の被災消防車」なのか、悩みながら進めて行ければと思っています。

 最後のおまけは桑山のものすごい日焼けですね。6つのマスコミ対応と、真剣にのぞき込む見学者の方々に説明をしたりして炎天下、6時間いましたので・・・。おかげで少しは健康的に見えるかもしれません。

 明日は1日外来です。

桑山紀彦

初の展示という経験」への12件のフィードバック

  1. 遠くに住む私たちは被災地の人の心がわからない。
    ならば、被災地の人は私たちの心もわからない。
    被災地の方々が思っていること、当然と思っていることが
    我々にはわからないのです。
    そのギャップを埋めるアイテムとしてつぶれた消防車や破壊された役場の存在価値はあるのではないでしょうか?

  2. 山形南高校での展示の様子を伝えてくださって有難うございます。
    翔也君、頑張りましたね。ケンケンさんも、実働隊ご苦労様でした。
    赤木さんの行動力には脱帽です。
    歩さんの消防車はやはり、津波祈念資料館での展示がふさわしいのでしょうね。
    それまで大事に保存しておきたいですね。

  3. いつも見てるのに初めてコメントします。
    桑山先生・明ちゃん・ケンケン・りんりん・悠ちゃんお疲れ様でした。
    私も行きたかったです。
    どんな写真を飾ったか今度教えて下さい。

  4. 江里ちゃんがコメントくれた~。嬉しいなあ~。今度持って行くね。今回は陸前高田から亘理までの被災地の様子。人は出てこないかな。南高等学校の生徒さんが瓦礫撤去や消防車磨きをしてくれている写真もいれたんだ。ぜひ、全国の皆さんもこの写真パネルをご用命下さい。
    問い合わせは「地球のステージ」へ。

  5. 南三陸町もそんな事になっちょるんじゃね。でも、撤去の言葉にまけんで何とか残って欲しい!
    ピースなんかせんこと!全く(`曲´#)建物の前にたっちょって、「あんた、何かんがえちょるん!」と説教してやりたい気分!

  6.  暑い中、お疲れ様でした。
    赤い消防車の事を桑山さんのブログで知り、その後新聞にも載り、遠く離れた所にいる私達が何をすべきか真剣に考えました。
     募金活動の時には、ブログからプリントさせていただいた赤い消防自動車と新聞記事を掲示しました。
    募金をしてくださった方々も真剣に見てくださいました。
     遠く離れていると何もわからないから余計に赤い消防自動車は私達に大切なことをたくさん教えてくれました。
    どうか皆さんが納得するかたちで残されますように・・・。

  7. 書道部の生徒さんが、大きな大きな布(?)の上に書いた書の間に、手がたを押しました。「一人でも多くの方のてがたを押して石巻(商業高校だったか)に送りたいんです。」と声を掛ける部長の男の子。石巻のその高校のバレー部が昨年南高校に遠征に来たのだそうです。そして、バレー部員の3人が津波で亡くなったのだそうです。真っ赤に日焼けして涙を流しながら、文化祭に来て人達に呼び掛けていました。
    片付けが始まっても一般方がいらっしゃる間ずっと、やっぱり真っ赤に日焼けした男の子が「募金のご協力お願いします。」と声を枯らしてお願いしていました。一生懸命な若者に弱い私は、「赤木 交通費かかってんだけど、また、明日から頑張って働くよ!」と胸の中で叫びながら、何度も募金箱に入れました! 展示してあるパネルを見ながらご近所の方が、「南校生、瓦礫撤去に行ったの!」と驚き感心され、その足で手がたをおし、募金をされていました。津波に関する忌々しいものを葬りたいと考えていらっしゃる皆さんに、10代の男の達のこの姿をお見せしたかったです。
    後夜祭のフォークダンスには出れませんでしたが、八王子を埼玉だと言った男の子に‘東京よ!」と教えて南高校を後にしました!

  8. 何を残し 何を忘れていくか・・・
    難しい選択だとは思います。
    でも、忘れてはならない事実。悲劇を繰り返さないために、伝えていくことは大切だと思います。
    日本の戦争の悲劇。広島、長崎の原爆記念館、ひめゆりの塔、知覧、どこへ足を運んでも忘れてはいけない、伝えていかなければ・・・と思います。
    今この時だから残せるものあると思います。亡くなられた方のご遺族は辛く、耐えがたい思い、私には想像もつかない気持ちがあると思います。だから簡単にはいえませんが、何を残し 何を忘れていくか、みんなで考えていけるといいと思います。

  9.        120万人と40万人
     
     阪神淡路大震災に参加したボランティアの数は、120万人で東日本大震災のボランティアの数は40万人だという。
     辻本清美ボランティア担当大臣によると原因は三つ考えられるという。
     1.東北は遠隔地である。2.自己完結型(衣食住を自分でまかなう必要)が要求される。3.原発事故。この三つがボランティアに参加しにくくしている原因だという。
     原発事故はまだまだ解決していないが1と2は現在すでに解決済みです。
     みなさん、「助け合いジャパン」で検索をかけてみてください。
     宿泊施設あり(それもホテル)、手ぶらでオーケー。ボランティアの仕事ってなにがあるの。それぞれに応じた仕事が各被災地のボランティアセンターで整理され用意されています。それぞれが何ができるか検討できるようになっています。被災者の方にとって、ただ話しを聞いてもらえる、それだけでも充分なボランティアなのだとか書かれています。自分になにができるか、それぞれに応じたボランティアが見つかるはずです。
     「助け合いジャパン」または「ボラツアー」で検索してみてください。
     「それならお前行け」。
     そう言われそうです。
     ボクはというと、足が痛い。腰も痛い。おまけに病弱で虚弱体質。頭も悪いし、顔も悪い。近頃は持病の痔ろうが。今もトイレで座り込む始末。痛あたたたたたたた。
     みなさん、ボランティアに行きましょう。
     和歌山   なかお

  10. 下増田分団の消防車には、歩さんや、亡くなった2名からのメッセージが込められています。
    僕は、外に動かすことに関しては、あまり賛成はできません。
    大事に大事に扱ってほしいです。
    9月2日、また会いに行きますね。

  11. 南高祭に行ってきました。被災したポンプ車もすぐ近くで見てきました。名取に行った南高生が心をこめて磨いたが歩さんの消防車を見ることができると期待していましたが、移動展示を快く思わない人もいると伺い残念でなりませんでした。しかし泥にまみれたポンプ車も十二分に役割を担ってくれたように思います。ある高校生が答えていたようにお祭りの様な場所に・・・と。人の命のの重さを考えると、あの歩さんの消防車は展示する場所、受け止めてくれる対象を十分考慮する必要を感じました。泥の付いたポンプ車は錆びるのも早いと思います。今しか見ることのできない泥にまみれたポンプ車を多くの人に見てもらい感じ取ってもらえたらと思いました。
    被災地には踏み入れていない私ですが、泥まみれのポンプ車やパネルを見ているとなぜかしら涙がにじんでしまいました。二台の被災した消防車、どちらも今回の震災の証として大切にしていって欲しいです。
    名取から一台の被災車を運ぶ、その事に多くの人がさまざまなかたちで関わり、やっと山形の高校にたどりついたんですね。スタッフの皆さんお疲れさまでした。

  12. 南高祭、私も行ってきたよー。
    最近の注目はWater Boys
    山形南高校は現在男子高。この日のために各部の猛者が一日限りのWater Boysを披露する。一見の価値あり。
    9時の開場に合わせて到着したが既に長蛇の列。手にした整理券は247番。
    この日の南高祭の入場者数は2500人を超えたとか、超えなかったとか。
    父兄や他の学校生徒、近所の人など多くの人の目に赤いポンプ車は映った。こんなコラボもいいですね。
    震災、今も大変だけど頑張っているよー。メッセージが伝わってくるようだった。
    隣の山形ですら被災地が遠く感じられるこの頃、泥まみれのポンプ車に会えて良かった。
    あの時の気持ちを思い出し、自分の出来ることをちょっとずつ始めようと思った。
    輝いている南高生と被災地からのメッセージ、南高祭に行って本当に良かった。

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