奇跡の腕時計

 「しあわせ堂」の光夫さんと久しぶりに会いました。

 真っ黒に日焼けして、
「今ね、町役場の臨時職員受かったんで仕事してます。今はほとんどみんなが仮設に入れたから一安心だなあ。全国からの支援物資を仕分けして仮設住居に提供するって仕事させてもらってるけど、とにかく日焼けするんすよ。
 オレんとこもお袋と二人で仮設に入って一安心だ。仮設は狭いけどまあ、これもありっすね。」
 光夫さんは前向きになっています。
 「この間ね、久しぶりにオレの食堂に戻ったんです。いや、もちろん瓦礫も撤去されてほとんど更地です。でね、夕方そこに座ってため息付きながらたそがれてたんすよ。そしたらなんか足下にベルトの先っちょが見えて、何だ?と思って引っぱってみたらなんと腕時計が出てきたっすよ!
 しかも、これ俺の亡くなった彼女からものじゃないすか。もう嬉しくて嬉しくてね!しかも、動いてるんだもの・・・。」
「いつ見つけました?」
「7月11日、彼女が津波で亡くなってちょうど4ヶ月目のその日に・・・。」
「それって奇跡じゃないですか?」
「ああ、もう奇跡以外何ものでもないっす。これはきっとあいつが天国から守っててくれたものなんだ。そんでオレにもう一回プレゼントしてくれたものなんだ。しかも、オレのしあわせ堂の跡地で見つかったんだ。でね、おれ思ったんだ。あいつがもう一回店やれってことじゃないかなってね。」
「・・・そうだと思います。」
「でね、市の商工課で仮設店舗募集してるって話聞いてたんで早速行ってみたんす。でもね、残念3日前に締め切ってました。でもそこはあんまり立地条件よくないからな。今回は見送ります。でもね、やっぱりこれってオレに食堂やれってことかもしんない・・・。」
「光夫さん、やっぱり瓦礫の中の復興で欠かせないものは食堂だと思う。みんながそこへ来て腹一杯食べて、みんなで語り合って、夜は酒飲んで、そんでまた明日をがんばる。そんな食堂にしませんか。」
「オレ、何だかんだで正直もう食堂はいいかな、って思ってた。でも役場の臨時職員の仕事してると、”お、しあわせ堂の光夫じゃないか、食堂いつ再開するんだ”って聞かれるし、正直どうしようかと思ってた。
 でも、この腕時計が4ヶ月間瓦礫の下で一秒も狂わず動いてたんだって思ったら、やっぱりオレはここで食堂やるしかないって思えてきたんだ。
 もちろん自信はない。でも、あいつの腕時計がそこにあっただけでオレ十分元気でましたよ。」
 光夫さんの真っ黒な腕にその時計がよく似合っていました。
7/14-1
 こうして人は生きる意味を取り戻していく。
 亡き人からの奇跡のプレゼントを天国からもらって、光夫さんの人生が前向きに変わっていく様を見させてもらいました。
 被災地ではこんな奇跡のような話があるのです。
桑山紀彦

奇跡の腕時計」への12件のフィードバック

  1. 奇跡…まだまだ、たくさんあると思います。無くした方は、その分、いっぱい奇跡を見ることができると思います。

  2. 幸せな奇跡!
    東北地方が復興を果たした時、そんなお話集めて、ショートドラマ作るなんてどうでしょうね!
    “食べる”って本当に大切ですからね!

  3. とても信じられないお話ですね。
    今、涙が出て止まりません。
    この気持ちをどう伝えればいいんでしょう?
    感動という言葉でさえ軽々しく感じています。
    死してもなお、支え続けている女性の生き方。
    そうなんですね。死してもなお、生き続けているんですね。
    また、その想いをきちんと理解することができた光夫さんの生き様。
    私には、とてもとても輝いてみえます。
    きっと、訪れます。
    光夫さんがつくるチャーハンを食べるため「しあわせ堂」へ。

  4. ブログのコメントも悲喜こもごも。
    今日は飛びっきり明るい話題。神様は見捨てなかったんですね。
    読んでいてうれしくなりました。
    こういう若者の気持ち大切にしたいなあ~と思いながら・・・。
    そうそう、久しぶりに市役所へ行ったら受付窓口の待機ロビーはほぼ消灯状態でちょっと蒸し暑く、率先節電でした。

  5.   山形大学雑記
     
     山形大学は昭和二十四年山形高等学校(旧制)、山形師範学校、山形青年師範学校、山形県立農林専門学校、米沢工業専門学校を統合する形で新制大学として設立された。桑山先生ご出身の医学部は昭和四十八年の設立となっている。
     作家藤沢周平は統合前の山形師範学校の出身である。師範学校としては最後の卒業生である。僕の敬愛するお二人(藤沢周平と桑山紀彦)は奇しくも同じ大学の先輩と後輩なのだ。このことに、最近になって気付いた僕も迂闊といえば」迂闊である。
     二人の過ごした大学生活は、時代も違えば専攻も違うのであるから同じ山形大学とはいえ比較はできないのであるが、僕には、二人相通じるものがあるように思えるのだ。人に対するそこはかとない優しさが二人には見て取れるのである。
     医学の勉強と余暇にはライブハウスに通った桑山紀彦。藤沢周平はどうであったであろうか。「半生の記」より、その学生時代を垣間見てみようと思う。
     --いまも大学の運動部あたりにいるかと思うが、むかしはバンカラが沢山いた。わざと汚い恰好をして学内をガニ股ふうにのしのしと歩き回り、ワッハッハと笑い、何か事があるとオタケビをあげる。そう書くと戯画的になるけれども、実際にもバンカラにはどこか時代錯誤的な滑稽感がつきまとっていて、そのあたりが値打ちでもあった。
     そこまで徹底しなくとも、着流しのマントを首にひっかけ、びっくりするほど厚味があって朴歯が高い下駄をはき、頭に少しやぶけたような、脂でてらてら光るつぶれた帽子をかぶるバンカラ風俗というのは、学生の間ではごく一般的なもので、かくいう私なども大体そんな姿で山形の町を歩いていたのである。(中略)
     師範では年に一回、学内運動会をやっていた。(中略)一、二年はなんとなく過ぎたが、三年になったとき、走る者は二種類にエントリーせよ、ただし応援団に入る者は競技を免じるという指示が出た。三年生になって二種目も走るのは気がすすまないけれども、応援団はとてもしらふで出来ることではないと私は思った。(中略)さっさと二種目を走ってあとは寝ころんでいる方がいいと、私は早早に結論を出した。
     登録をしたのは百メートルと四百メートル。(中略)。さてその百と四百のレースだが、百はビリから二、三番ぐらいだろう。少し不本意な成績だったので、私は四百はがんばろうと思った。(中略)
     ところで肝心の四百だが、走り出して私はすぐにガクゼンとした。身体が重く、足がちっとも上がらない。みるみる取り残されて私はビリになった。赤組の大応援団の前を通るとき、「コスゲ、ガンバレー」(本名小菅留治)という友人たちの声援が聞こえたけれども、気はあせっても足が言うことをきかない。死力をつくして前に出たら私の前が同郷のM君で、コーナーでこのM君と接触して二人ともころぶ始末。M君には悪いことをした。
     屈辱のビリ体験は、日ごろ小説ばかり読んで、およそ身体を鍛えることをしなかった報いだったようである。
     藤沢周平、青春の1ページ。
                   藤沢周平「半生の記」新潮文庫より一部抜粋
       
         和歌山   なかお

  6. 信じられないけれど真実なんですね。
    光夫さんの今後に大きな支えになりますね。よかった。
    桑山先生お伝えくださってありがとうございます。
    昨年同様猛暑が続く今年、被災地の皆さん、応援して下さる全国の皆さんくれぐれもお体ご自愛下さい。
    行き過ぎの冷房している施設に入ると、一体どうなってるの?と思います。無駄な分を省くのが節電でしょう。自分達の支払う電気代安くなるのに。使わない水をただ流しているのと同じことに気づいて欲しいと思います。

  7. そんなことが あるんですね!
    ♪~ コチコチカッチンおとけいさん コチコチカッチンうごいてる こどものはりとおとなのはりが こんにちは さようなら コチコチカッチンうごいてる♪ ブログを読んでいてふと こどもの歌が出てきました。
    光夫さんファイト!!

  8. こんなコメントをしていいのか迷ったんですけど、もしよくなかったら、このコメントを消して下さい。光夫さんの亡くなった彼女はきっと私の知り合いの方だと思います。一応、プライバシーの問題があると思うので、名前などは変えてあると思うんだけど、きっと彼女は私の知り合いです。このブログを見て私は泣いてしまいました。彼女らしいな~って思って…彼女は私の妹の親友でもあり、私の高校の後輩です。今年のお正月に、彼女とは何年も合ってなかったのに、彼女の夢を見たんです。その内容はとても面白く、彼女は元々明るくて、いつも人を笑わせてくれる性格なので、その夢の中でも私は大爆笑していて、笑いながら目が覚めて、目が覚めてからもおかしくて、笑いながら主人に彼女のこんな面白い夢を見たんだよ~って言って二人で笑ってたんです。でも私は何年も彼女に合ってなかったのに、どうして突然彼女の夢を見たんだろう?って思いながら少し気になってはいたんです。今考えると、もしかしたら彼女は私に「もうすぐ天国に行くよ」と言うメッセージだったのかもしれないと思いました。そして彼女が亡くなってから、私は元々色々な事で悩んでいたり、今回の震災に関する事や、もちろん彼女が亡くなった事も、沢山悲しい事があり、夢の中で泣いていたんです。泣きながら目が覚めて、でも寝なきゃいけないと思い、また寝たんです。そしたら夢に彼女が出て来てくれて、私の事を笑わせてくれて元気をくれて、そして彼女はすぐに帰ろうとしたんです。だから私は「もう行っちゃうの」と彼女に言ったら、彼女は「うん。またね~」って笑いながら行ってしまいました。きっと彼女はあの時天国に行ったんだろうなー…と思い、亡くなってからも私なんかの心配までしてくれて、夢の中で元気をくれて、本当に彼女は素晴らしい方です。私も光夫さんのように、彼女の分も思いやりの心を持ち、そして精一杯生きて行こうと思いました。光夫さん彼女からの最高のプレゼント良かったですね。やっぱり彼女らしいな~って思い、コメントさせていただきました。

  9. 本当に奇跡は起こるんですね。
    彼女の想いの深さを感じます。
    光夫さんに生きる希望が湧いてきて良かったです。
    これからは彼女の形見といつも一緒ですものね。

  10. ほんと奇跡ですね。
    その瞬間。その場所に座っていなかったら見つけられなかった時計。
    そしてそれが動いていたこと。それが何よりも奇跡ですね。
    光夫さんをこれからも守っていくことでしょうね。

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