雨の日曜日

 今日の名取は朝から雨でした。

 防風林がなくなり、周囲の田んぼが赤茶けて塩が浮き、一切水が入らなくなるとどうなるのか、よくわかりました。
 まず磯とヘドロの混ざった臭いが辺り一面に常に漂っていること。そして細かい砂がいつも宙に舞っていること。そうなんです、この時期に周りの田んぼに一斉に水が入ることでこの地域の空気は澄み、さわやかな五月、新緑の香りがしていたのに、それが全くなくなってしまっているんですね。田んぼに水が入るということはすなわち、その土地の空気をきれいにし、新鮮な香りを運んできてくれていたことに、失うことで気付いたのです。だから雨が降ると、とりあえず一旦空気中に浮いていた砂やら臭いやらが一旦地面に落ちます。だから雨の日はほんの少しだけからだが若返ったような感じになります。
 そして今日も朝から江里ちゃんと一緒でした。
 江里ちゃんとはもうこれで3週間連続で一緒に閖上の家に行っています。今日は読売新聞のカメラマンによる「撮影」でした。
 23日より読売新聞で「心のケア」をテーマにした連載が始まりますが、その第1回目が桑山と江里ちゃんの物語のようでその撮影でした。津波で破壊された家の前の撮影も何か不思議なものでしたが、江里ちゃんは淡々と付き合ってくれました。バシャバシャと連写するカメラマン氏の前でどんどん申し訳ない気持ちが高まる僕の横で、江里ちゃんはまた家の中から大切なものを見つけ出しました。それは小さな文房具でしたが、やっぱり彼女にとっては大切なものがまだまだこの家の中にあります。でもすべてを持って出ることはできない。どこかで線引きをする必要があるんでしょうね。
 家に戻るクルマの中でどうしても気にしていたことを江里ちゃんに話してみました。
「江里ちゃん、ずっと気になっていることがあってね。」
「なに?せんせい」
「うんと、今日もそうだけどずっと取材に付き合わせて、本当にごめんね。話したくないことや話すことで辛いことも多いだろうに、たまたま僕と関わってしまったから、こんなふうにまた取材を受けてね。」
「ううん、大丈夫だよ。」
「でもさ、やっぱり負担だろうなって思ってるんだ。」
「話長い人は大変なときもあったけどね。」
「うん、ごめんね。」
「大丈夫だよ。」
「でもさ、例えばNHKの高野さんとか、本当に誠実で一生懸命だからね。高野さんが自分の職業感で“伝えたい”って思い持っているのを感じると断れないんだ。」
「うん。わかる。」
「正直最近取材が重荷でね。こっちもテレビに出たいわけじゃないし、新聞に書かれたいわけじゃないんだけど、重い心抱えている人たちがどうやって元気取り戻していくか、たくさんの人に知ってもらう事でね、そのテレビ見た人が元気になればいいって思うんだ。僕一人が、医者として踏ん張ったって、限界があるからね・・・。」
「そうだよね。」
 江里ちゃんは受け止めてくれます。でもきっと心の中では取材を受けることで重い気持ちを抱えているに違いないと思えてならない。伝えるべきことはある程度伝えられたとしたら、僕と関わることで取材を受けなきゃいけないなんてことはもうなしにしないといけないと思います。もちろんいままでもちゃんとご本人や保護者の許可はいただいてきたけれど、それはきっと僕に気を遣ってやむなく協力してくれただけだと思うんです。
 でも一方でテレビで報道されると、それを見た全国の人が桑山たちの活動に納得してくれて、皆さんが身を削って送って下さった募金などについても了解して下さるのではないか、という思いがあるのも事実です。
 これまで幾本かのテレビ報道や新聞報道を出していただいてきましたが、その裏にはそうやってメディアにでることの苦悩と葛藤がありました。誰かを必ず巻き込んでしまうことになるのです。だからこのブログを継続することで今後テレビや新聞などの取材を極力控えさせて頂こうと思っています。今後テレビにも新聞にも出なくとも一所懸命日々の活動をすることには変わりないと思うので、まずはこのブログでの報告をお読み頂いて、日々の活動への理解や募金への納得がいただければと思っております。
 そんな信頼する僕の友人のNHKディレクター、高野さん(仙台放送局)が作った「クローズアップ東北」は東北だけの放送だったのですが、全国放送されることとなりました。
 高野さんはあの桑山がでた「クローズアップ現代」を作られた方です。
 放送日ですが、
 5月28日(土) 17:30~17:55 (微妙な時間帯なのでぜひ録画を)
   ~ただこの前の枠がプロ野球中継なので延伸してしまった場合は、
 5月31日(火) 午前2時~(深夜帯) ということは30日(月)の26時ですね。
 2ヶ月間密着に近い取材をされて作ってくれたものです。時には限界もありましたが、それは高野さんだったから、超えることができました。丁寧に慎重に、そして常に筋を通して進めてきた高野さんの取材の上にできあがったこの「作品」だけはぜひご覧下さい。
 タイトルは、
  “こころ”を救う
~宮城・名取 心療内科医の2ヶ月~
 
 ぜひご覧下さい。でもまずは明日、月曜日の読売新聞に、江里ちゃんです。
桑山紀彦

雨の日曜日」への12件のフィードバック

  1. えりちゃんや太さん、取材を受けてくれるのは、やっぱり桑山さんに絶大なる信頼を置いているからじゃないかなぁ…なんて思います。
    我が家は、朝日新聞ですが、きっと読売新聞を取ってる友人から連絡が来ると思います!
    今日は、私は、大好きな省吾のライブでした。前回より更に胸に染みる言葉を投げ掛けてくれました。
    省吾に届く様に 電車の中で手紙を書いて、事務所スタッフに渡しました。読んでくれます様に。
    明日は外来ですね。ファイト 一発!

  2. 追伸:東京は3時前から雨でした。
    横浜は雨・風強かったです!
    そして、れいの傘をさして会場に行きました。

  3. 被災者の心情と伝える使命の板挟み。
    人の心をそこまで気配りをされるのは、なかなか出来ることではありません。感じります。
    今、何が問題で何が重要かを考えて、ご自分の気持ちにすんなり収まる道を選択するのが一番良い判断です。
    その判断に誰も批判をする資格はないと思います。

  4. 昨夜は北九州は大雨でした。
    今朝は小降りでしたがそれでも雨の中山口県光市に向けて出発し、
    いつものように一般道路を東に向けて走りました。
    誰の心がけがよかったのか
    とちゅうで雨が上がり快適なドライブでした。
    目的地は
    光市市民ホール。
    そうです。
    来月の地球のステージの公演が予定されている所です。
    今日はケニアのマゴソスクールの早川千晶さんや
    マサイの戦士のジャクソンさんなどのケニアの話や
    アフリカンダンスと音楽のイベントでした。
    会場では
    仙台から送られたという
    アマニヤのケニアグッズが大人気でしたし、
    震災支援の募金もされていました。
    そこで出会ったみなさんに
    ブログのことをお知らせしたので
    きっと心ある皆さんは読んでくださると思います。
    桑山さんがメディアに出ることに
    迷いや躊躇があることも
    理解してくださっての
    皆さんの取材へのご協力だから
    なおいっそうありがたいと思うのは
    ブログや新聞を読む私たちの共通した気持ちだと思います。
    本当にありがとうございます。
    帰り際にホールのイベントチラシコーナーで
    来月の「地球のステージ」のチラシを発見して
    しっかり持ち帰りました。

  5. 毎回葛藤しながらの取材受け入れですね。
    発信しなければ伝わらないし、一方、患者さんの負担は大きいし、非難もあるし。
    でも、苦慮の末に桑山さんが必要と判断したのですから、私は支持します。
    一度形を成したものは独り歩きしてしまいますが、こちらがぶれなければ大丈夫です。
    メディアの方も丁寧に、気持ちを汲んで伝えてほしいと切に願っています。

  6.    僕の古城探報
     FM徳島「石井竜也のディアーフレンド」という場組み(これはFM東京配信)を聞いていると、米米クラブのカールスモーキー石井の番組であるが、---今日のゲストは春風亭昇太さんです。昇太さんの趣味は「お城」だそうで、最近「お城あるきのススメ」というご本も出版されたということで・・・・-----と言っている。
     ー--昇太さんは足軽の気持ちになってお城を見にいくそうなんですが、これってなかなか面白いですよね。僕が見にいく城というのは中世の城であって、天守閣が聳えるような近世の城ではないですよね。イメージとしては、山の上の砦に近いもの。-----二人の軽妙な会話が続いていく。歴史好きの僕としては面白いので、さっそく昇太著「お城あるきのススメ」を買って読んでみた。これがバカバカしくて面白い。なるほど足軽の扮装して城を訪れるのかと昇太師匠の写真を見ながら感心する。あたかも合戦をしているような想像をして城を見に行くのだそうだ。これは歴史好きには堪らない。
     そういえば、我が故郷にも中世の城があったなと思い出す。そうすると急に城に出かけたくなった。行動に移すのがこのおっちょこちょいというか、馬鹿というか、軽薄というか、前後のみさかいない愚か者のわたしなのであるがじっとしていられない。
     近隣の中世の城(ほとんど砦)というのは、御坊駅の裏山にある、湯川直春の居城亀山城。館は麓にあり、この地に学校があるため紀央館高校という名の由来となっている。
     さらに戦国時代、この湯川氏と同盟関係にあった玉置直和の居城紀伊手取城があるのである。二つとも豊臣秀吉の紀州攻めのにより滅んでいるが、この城に登ってみようと、雨上がりの日曜の午後思いたったのである。
     以前亀山城は上ったことがあるので、春風亭昇太師匠に敬意を表して、今回は山城の典型、紀伊手取城に登ることにした。
     あらかじめめネットで調べた地図を元に山麓まで車を走らせた。麓には案内板があり山頂まで1.2キロと出ている。これなら歩いて登ってもたいしたことないなと車を置いて登り始めた。ところがである。これなら車で登れるじゃあない、と思えるような道が続くのである。舗装された道をもう少し車で来ればよかったと後悔しながら歩くのが嫌になるくらい登った。山道の1.2キロを侮った。しかも行けども行けども到着しないのである。山頂はあそこだ、見えているのだが到着しない。山腹をグルグル回るだけである。汗はダラダラ、足はガクガク、そうだよな、すぐ山頂に着くようなら敵に簡単に攻められてしまうしな、まったく、山城の1.2キロを侮った。簡単に着くわけない。しかしもう遅い。急峻な山道がはてしなく続いていた。ふと崖下を見みると、谷底には車やバイクが落ちているではないか。これを見て背筋が寒くなった。ここなら落ちても可笑しくない。徒歩で来てよかったと思ったが、息ははあはあ、心臓はバクバク、汗はダラダラ、足はガクガク、もう死ぬ思いとはこのことか。やっとの思いで山頂へ辿り着くこころ、鬼の形相で二度とここへは来ないと啖呵を切った。
     山頂には遺構があり、東の郭、二の郭、一の郭やら掘りきりやのろし台がある。ここで、秀吉軍と玉置軍が戦ったのかと思うと冷え冷えとしたものを感じる。あたりは雑草が生い茂りやぶ蚊も多くいる。歴史は面白いが、僕には古城探報は無理だと一人合点した。だって、辿り着いたら雑草とやぶ蚊だもの。昇太師匠ごめんなさい。
     崖下に落ちないように震える足で気をつけながらくだりながら、僕にはムリ、僕にはムリ、僕にはムリ・・・・・そう呟いていた。
       和歌山  中尾

  7. 5月19日のブログから言葉をさがし続けて、今日はもう23日になってしまいました。
    桑山さんは、以前からこのことを危惧されていらっしゃいましたよね。
    顔を合わせているわけではありませんので、ここに言葉として記さなければ、何のお力にもなれない……
    そう思いながら、拙い私の文章では、この気持ちを表現し尽せないもどかしさを感じています。
    書き込みはあまりしない私ですが、「また、あした」と締め括らせていただいている通り、いつもここにおります。
    桑山さんやまわりの皆さん、ここにコメントを寄せる皆さん
    とともに自分もあるつもりでおります。
    それだけお伝えしたく、久々に送信!!
    お体にお気をつけてくださいね。
    ではまた、あした。

  8. 読売新聞 購読していない為 コンビニへ走り、購入し ドキドキして新聞の隅々まで探しましたが 見つかりません。
    朝日新聞の誤り?
    1日ずれて 明日?
    桑山さんの活動を、皆に知らせたくて、拡大コピーしようと思っているのですが…。
    どなたか教えてください。

  9. 私も隅々まで読売新聞を何度も見ましたが,見つかりませんでした。明日にずれたのか,それとも東北限定?とりあえず明日の新聞でも探してみます。

  10. 私も朝すぐに購入し隅々まで確認しましたが見つけられませんでした。もみなさんがそれぞれの場所で探す姿を想像するとなんだか嬉しくなります。福岡版ものってませんでした。
    桑山さんがメディアに登場しないとしてもそれはそれで大丈夫です(^-^)お体くずされまよんよう祈るばかります

  11. 『クローズアップ東北』を録画予約しようと思います。
    読売新聞の記事は探して読みます。
    メディアの役割もあると思います。桑山さんが信頼できるメディアの方がいらして被災者の方が承知してくれた時、負担にならない取材もあるかも知れません。

  12. 桑山先生のこといつも応援しています。
    マスコミに出ることは先生にとっても大事な名取の人々にとっても、効用もあるけど、時には副作用というリスクを背負うと思います。多くの人々が桑山先生のお人柄に触れ、先生に守られていることを確信しているからこそ、マスコミにも協力してくださるのではないでしょうか。私は心配性すぎるのかもしれませんが、今は先生を信頼し取材OKでも、もしかしたらこれから先、マスコミに出たことで何らかの影響を受け、「あのとき出なければよかった」と思う時が来ることだってあるのではと思います。 私は以前、ある苦しい体験をしたけど元気になり、その事を伝えることが今の社会の役に立てるならと自分の意思でマスコミに協力しました。編集されて短い時間でしたがいい番組でした。でも、名前も顔も声も隠してもらったのにそれが職場の人に私だとわかってしまい、その後一部の方々の偏見で苦しみました。自分がさらし者になった気分で惨めでなりませんでした。私にとって二次災害的苦しみでした。でもきっと、桑山先生の身近にいる方々ならば、もしもそんなマスコミの副作用が出てしまったとしても、先生がしっかりケアしてくれそうですね。私もあのとき、桑山先生のような方にケアして欲しかったです。

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