涙の手拍子

 皆さん、書き込みありがとうございます。現時点で40を超える書き込みをいただいたのは、震災直後以来でした。書き込みは少なくなってきていても、皆さんがちゃんと毎日読んでくださっていることを改めて知ることができて、とても嬉しかったです。アクセスログにはブログを読まれている方の数がちゃんと出ます。もちろん同じ方が何度アクセスしてもそれは「1」としてしか記録されないので、ブログを訪れて頂いた方の実数です。すごいなあと思うのはずっと減っていないことなんです。もちろん震災直後から見ればそれは減りました。でも、2週目くらいからずっと3000~4000を維持したままです。その意味ではこのブログが定着し、考えてみれば一月で10万以上のアクセス頂いていることになります。がんばって書こうと思うし、書きながら正気を保っているので今後ともお付き合いください。

 

 そんな中、今日は中学生に泣かされました。

 ステージ上であんなに泣いたのは本当に久しぶりでした。

 今日は仙台市立大沢中学校のステージでした。朝10時からのステージはぐんぐん上がってくる気温を気にしながら、仙台市でも「山の方」だから被害の少ない大沢中学校の体育館で始まりました。今日は昨年に続いて2番の演目でしたが、最近は1番から6番までのすべての演目の中に「震災篇」を入れて特別編成にしています。ステージの2番は「回想篇」に始まり「カンボジア篇」「イラン震災復興篇」「パレスチナ篇:後編」と来て「震災篇」そして自分語りをする「故郷篇2」で終演していきます。

 「震災篇」は常に変わり続けていますが、今日伝えたのは、

「今宮城県は”海側”と”山側”に分かれてしまっています。被害を受けた”海側の人”と被害の少なかった“山側の人”の間には目に見えない不連続面があるように言われています。でもほんとでしょうか?

 確かに山側には被害はなくて、みんな普通の暮らしをしています。でも、実は山側の人にだって辛い思いがあるはず。同じ宮城県なのに海側の人ばっかり大変で、山側の自分たちは特に困っていない。それが実はとても辛いことになっているはずです。だから、同じ宮城県なんだから海であろうと山であろうと、みんなで一緒にがんばって、このすさまじい被害を受けた宮城県に住む者として助け合っていこう。」

 ということでした。海側で被害を受けた人は毎日毎日するべきことが見えていて、ある意味進むべき道がはっきりとしているけど、津波の被害のなかった山側の地域の人は「同じ宮城県人として、何をするべきなのだろうか」という、そんな重荷を抱えていると思うからです。人が抱える重荷は、海側であろうと山側であろうとそれぞれにあると思うのです。


 「震災篇」の映像を載せる曲は「この国へ」。その曲の間、水を打ったような静けさの中で大沢中の生徒さんたちはものすごい集中力を出して聴いてくれていました。そしていつもの「小学校の6年間は辛かった~。体育が苦手でな~」という話を短くしたあとに、最後の曲「贈りもの」を映像と共に歌い始めました。

 1番のサビに入りかけたときに、後ろの方の3年生が突然手拍子を始めました。

 最初は数人が、でも瞬く間に2年生、1年生と手拍子を重ねていってくれたのです。「贈りもの」はやたらとスローな曲でしたが、中学生たちはそれに合わせてゆっくりと手拍子を合わせてくれました。誰もそうしろと言ったわけじゃなく、誰も意図的にしようとしたわけじゃなく、中学生は自らの気持ちで「この人を応援しよう」と思ってくれたのでした。

 するとこみ上げてくる涙の量の多いこと。外来の亮子さんと一緒に泣く涙も多いですが、泣けて泣けて歌えなくなったのは、初めてこの2番を故郷で公演したとき以来でしょうか。もう12年ほど前になります。

 みんな今時の中学生だから大人のすることはみんな嫌いだし、世の中を斜めに見てしまいがちな世代ではないですか。そんな中学生という世代のみんなが、自発的に全校で手拍子で最後の曲についてきてくれる。夢のような、ドラマのような4分半でした。

 終わりに、

「みんなありがとね。おかげで勇気と元気をもらいました。今日も午後から外来だけど、みんなからもらったこの力を活かして午後からの外来に向かいます。」

 江里ちゃんの奇跡のシクラメンが咲いていたように、こうしてまた奇跡が起きます。失われたものは多いけれど、得たものもまた大きいことを実感するステージでした。

 ありがとう、大沢中学校のみんな。

 午後の外来は新患でいらっしゃった好子さんでした。

「私頭おかしくなったんだ。だってこのバック、片時も離せないのよ。もう2ヶ月過ぎてんのに、一秒だってこのバック離せない。ちょっとでも離してしまうと不安でいられなくなるの。周りの家族は“それはおかしい”って言うんだ。でも、寝るときも、トイレも、お風呂の時も絶対にこのバック離せないのよ。」

「好子さん、中には何が入ってるんです?」

「わたしん家はね、閖上3丁目だから家もみんな持ってかれたんだ。でも、地震が来た瞬間、これは良くないと思って急いで大事なものをこのバックに詰めたのよ。お財布、通帳、保険証、とにかく身近にある大事なものを入れたんだ。そんでもって5分で家を飛び出したんだけど、実はその時津波が来るってわかんなかったんだ。とにかく地震で家が壊れると思ったから、このバックと共に飛び出したのよ。

 そして津波が来て、家をすべて持ってったってことを後で知ったの。

 その時のショックと言ったらね・・・。これまでの財産や想い出のすべてをみんな一瞬で失って、残ったのはこのバック一つだって思ったらものすごい哀しみと恐怖が襲ってきてね。それ以来もう片時もこのバックが離せないんだ。」

「好子さん、それは当たり前でないかなあ」

「でもうちの旦那は、“お前おかしい”って言うんだよ。おかしいかな・・・。」

「ぜんぜんおかしくない。当たり前だと思うよ好子さん。だって、これしか残らなかったと思ったらこれは好子さんの身体の一部だもの。そしたら身体にぴったりとくっつけていたくなるのは当たり前だと思うよ。」

 突然好子さんははらはらと泣き始めました。

「そうだよね、そうだよね、大阪から38年前に閖上に引っ越してきて、一生懸命生きてきたつもりなのに、一瞬で家も想い出も何もかも失って、残ったのがこれだけなんて、なんてことなんだ、ああ哀しい、ああ寂しい!!」

 気丈な大阪生まれの好子さんはしばらくワンワン泣いていらっしゃいました。でもしばらくすると泣き顔に笑顔作って、

「ああ、泣いたらスッキリした。せんせ、私はこのバックいつも持ってていいんだね!」

「もちろんさ!トイレでも、風呂でもどこへでも、思いの通りに持ち歩くといい!」

「わかった!あ~スッキリした!」

好子さんは帰っていきました。

今日も、そしてこれからもこうしてステージと外来が続いていきます。

桑山紀彦

涙の手拍子」への22件のフィードバック

  1. 良かったです!ホントに良かった!
    昨日の今日がこんなに素晴らしい日で…
    コメントの多さに感激していましたが、
    それだけ 先生は皆さんから温かく見守られているんですね!
    それだけ 先生から皆さんは元気をもらっているのですね!
    これからもステージと診療 ご自分の信じるままに 頑張ってくださいね…

  2. 良かったぁ(^-^)地元仙台の中学生が一生懸命聞いてくれて、共感してくれて、そして、桑山さんが元気をもらえて!
    ちなみに、拍手ではないけど、子供達が5人位で、曲に合わせて手を振る(?)姿は何回か見た事あるよ!
    今日も京王線は電気を消し、送風で頑張りました!

  3. 読んでいて、嬉しい涙が溢れました
    自然と湧きおこった拍手の意味
    きっと、心でいつもガサガサ引っかかっていた‘かさぶた’を言葉にしてもらえた証
    山側の中学生の心がスゥーっとして、海側へ素直なまなざしを向けられた時、優しい風が吹いて小さな双葉がそよいだ
    そんな絵が浮かびました(^-^)

  4. 桑山先生、診療とステージ、大変だと思うけど頑張ってください。皆が先生の診察を待っています。ステージを待っています。先生の診察により多くの被災した人たちが救われ、ステージにより多くの人たちが元気になっていきます。勇気を貰えます。被災地の本当のことを知ることができます。そして被災地の人々がどのような苦しみや悲しみを味わっているのかを知ることができます。
     被災地の人々が立ち上がっていくのは桑山先生の診察あってのことだと思いまし、ステージを見ることによって多くの日本人が、被災地に思いを寄せ、自分たちが被災地の人々のために何ができるかを真剣に考えることができると思います。
     僕たちは、桑山先生により、生かされているのです。
      和歌山 中尾

  5. 昨日のブログにコメントを寄せようと、どう書こうか悩みながら1時間もかかり、送信し終えた時にはすでに新たに更新されたブログが!
    先生の笑顔が浮かんでくるような内容で、なんだか清々しい気持ちで拝見させていただきました。
    とにかく、引き続き先生のブログをまた読み続けていけそうで、とても嬉しく思います。私の大好きな先生の笑顔も世界中に届け~!

  6. 桑山先生には私はとても感謝しています!私は今年初めから、家庭や主人の事業の事など色々あって、仙台の心療内科に通っていて、元々私は生い立ちの事などで精神的にずっと苦しんでいて、まさにあの3月11日の大震災の時も苦しんでいる途中でした。私は名取で生まれ、名取で育ち、高校は亘理高校でした。結婚も名取の大曲で生まれ、育ち、ゆりあげの学校に通って育った方と結婚しました。 旦那さんの甥っ子達はあの日、ゆりあげ小学校に一晩取り残されました。私や主人は甥っ子達の為に、必死で色々頑張りました。そして私は、通っていた仙台の心療内科ではお薬が処方されないと聞いて、元々妹が桑山先生の患者として通っていたので、私も駆け込みで桑山先生にお薬を処方して頂きました。私なんか命もあるし、なんとか家族も無事だったのに、もっと大変な方々がいらっしゃる中なのに、貴重なお薬を処方して頂き本当に感謝しております。私は今回の災害で大変な方々の事を考えるといつも心が痛みます。でも私にでも何か出来る事があるかもしれないと日々考えております。今はとにかく一番大切な主人を支える事が私に出来る事です。主人は大工さんなので、毎日石巻の方や、塩釜の方の海沿いの方に頑張って仕事に行っています。今はこの復興の為に、毎日仕事に頑張って行っている主人を支える事が私の出来る事だと思います。 桑山先生本当にありがとうございました。そしてお体の方もどうかお気をつけて下さい。私はこれからも、桑山先生のブログを毎日のぞかせて頂きますので。

  7. 新しいコメント少し安心しました。
    何と声をかけると元気をおこすのかずっと考えています。
    桑山先生が毎日のように考えておられる事を率直にまた患者さんの言葉行動を残されていっていることは被災地にいない自分が追体験できる感覚を生んでいます。
    私だってすぐにでもそちらにいって毎日でもがれきの撤去をして力になりたい。負けないでと伝えたい。
    だけど現実には今こちらでしなくてはいけないことが山積みで思いをはせることしかできません。今自分ができる最大限のことは実行中です。
    だからこそ現場で日々過ごし真正面から現実に対面している先生はすごいのだと思います。
    赤裸々に語られたあのコメントは正直ですし離れていても涙がとまりませんでした。
    志をもった心ある人の行動は孤独にもなるし批判対象になるでしょう。だからこそ共感した人達は桑山さんのされていることをサポートしていかないとと私は思います。
    日本世界から先生のされていることを素直にすごいと感じている人がいて応援している人はいます。誹謗中傷は仕方ありませんだからこそここで出会った人からのコメントを少しでも支えにされてください。明けない夜はないと私は思います。桑山先生が真摯に取り組まれている活動を信じ進まれることを願わずにはおられません。
    精神的肉体的にもピークのことと思います。音楽をきいたりクラシックかな美味しいものをいただいたりと時にはそんな時間を作ってくださったらなと思います。長くなりましたがいつも福岡から思い心配応援しております。

  8. 私は、大変だと思いつつも被害の実感がうすいから何をしてよいかわからないで、後ろめたさを抱えて見守っているのが実際の姿です。
    「それぞれの立場でやれることをやればよい」と無理に納得させているのも自己欺瞞ではないかと疑心暗鬼になることもあります。
    でもやっぱり何をしてよいのかわからないから、ブログを見ながら地球のステージを応援しています。何故ならば真剣に心を救っているのが見えるからです。
    大沢中学の出来事はよかったですね。これからも、やはり素直に理解できる人間のほうが多いと、自信を持って活動してください。
    今日TVでガザのニュースを見ました。注目です。

  9. 桑山さん
    昨日のブログは胸が苦しくなりました。涙が溢れました。
    でも、そのブログに対するコメントの多さ、その内容の温かさに、いつの間にか別の涙を流している自分がいました。
    そして今日のブログも拝見しているうちに涙が溢れました。
    コメントを読みながら自然に流れ出していた涙と同じ涙…
    昨日は言葉を探し出せないままでしたが、今日は書けます。
    桑山さん
    あの震災以来、ブログを書き続けてくださって、本当にありがとうございます。
    毎日同じようにこちらをご覧になる方々と一緒になって、喜びは(×人数で)大きくしますし、悲しみ・憤り・苦しみは(÷人数で)小さくします。
    大沢中の生徒さんたちのように、みんなで手拍子を続けます。
    周りの方々(「地球のステージ」・「東北国際クリニック」双方のスタッフの皆さん、ご家族やご友人の皆さん、患者さんや観客の皆さん 等々)と、心はいつも一緒にあります。
    桑山さん
    どうかくれぐれもご自愛の上、ご無理なさいませんように…でも、書き続けてくださいね。

  10. 良かった、本当に良かったです!今夜もブログを読むことが出来て嬉しいです!
    桑山さん、激務の後のブログにいつも感謝しています。
    大沼中の皆さん、素敵ですね!ステージの桑山さんと中学生の皆さんが優しい気持ちでつながったのですね。あたたかいコンサートの様子が目に浮かび涙が出ます。優しくてあたたかい気持ちは、人を元気にさせて疲れを癒してくれます。
    外来の方々がお元気になる様子は、こちらまで元気にしてくれます。ブログで知った『亮子さん』方々が、少しずつでもお元気になってくださったらと、こちらからも心からの祈りと応援を続けたいです。
    桑山さん、昨日のコメントに書かなかったけど、お医者さまに言うのもおかしいけど、お身体を大切になさってくださいませね。休養は大事です。私、毎日ブログ読んでいます、でも時々ブログ更新をお休みなさっても、待ってますから。
    明日も素敵なことがありますように。

  11. 今日は 恐々ブログを開けました。更新されてるかな~と
    だって 昨日の ブログは、辛くて こころの狭い人に腹を立て 自分の無力さが情けなく・・・
    書いては消し、書いては消して 送信できませでした。
    桑山さんが壊れてしまう~(ごめんなさい)と思いました。
    でも 世の中捨てたもんじゃない。沢山の書き込み。涙しながら読みました。
    ステージを見て聴いて下った中学生の皆さんありがとう!
    温かい手拍子ありがとう!
    今回は あなたたちが桑山さんの主治医だったのかな?
    良かった。良かった。
    もうすぐ 地球のステージの総会ですね。
    早く逢いたいなあ~皆さんに!(桑山さんにって書かないところがいいでしょ)
    名取に名医(迷医?)桑山あり!!
    小さくファイト!!

  12. 自然と起こる手拍子。いいですね。会場が一つになって。
    応援したいとき、人は手をたたくものなのでしょうね。
    私は昨日、会議で頑張った人に向けて、皆さんから自然と拍手が湧くのを経験しました。
    とても温かい雰囲気に包まれていました。
    気持ちは態度に出るものですね。桑山さんの心が解れて良かったです。
    好子さんのように苦しんでいる方はまだまだ大勢いらっしゃるのでしょうね。
    桑山さんのようなドクターと出会って“安心”できるよう願っています。

  13. 〝お医者様が 患者と一緒に泣いてくれる〟
    それだけで 私だったら 嬉しいです。「桑山先生って、なんて温ったかい方なんだろう。」と思いました。
    事故で子供を亡くした後、周囲の人達は、 みんな遠巻きに気の毒そうに私を見ていただけでした。「大変だったね。」とさえ 声を掛ける人もいませんでした。
    きっと どう言葉を掛けていいかも 分からずに、戸惑っていたのでしょう。
    そんな中 ひとりだけ 私の顔を見るなり、泣き出して肩を抱いてくれた友人がいました。
    どんな言葉を掛けて貰うより 嬉しかった。やっと心が解放されたように感じました。
    一緒に泣いてくれる人がいるだけで、救われた気持ちになるのです。友人が一緒に泣いてくれただけで、心の中の鉛が
    少し溶けて、なくなっていったように感じました。
    誰かに一緒に泣いて貰ったり、話を聴いて貰ったりすると、少しずつ心の中の鉛が溶けて消えて行くのがわかりました。
    亮子さんは、桑山先生に出会えて幸せですね。

  14. 桑山さん
    毎朝 ブログを拝見しています。
    「本当の地獄がやってくる」は辛かったです。
    桑山さんも被災者のひとりで、うんと我慢している気持ちが伝わってきて...
    中学生の皆さん、心からの手拍子をありがとう!
    読んでいて涙が湧き上がってきました。
    涙は辛い気持ち悲しい気持ちを浄化してくれますね。
    好子さんの「あー、スッキリした!」
    読みながら涙してる私もスッキリしました。
    桑山さんの気持ちを毎日書いてくださいませ。
    気持ちは届いています。ありがとう。

  15. また朝が来て、こんな素晴らしいブログを、読むことができたことが、ただただ、嬉しいです (T_T) ありがとうございます。お身体、どうぞご自愛ください。

  16. コメントをお送りいただいているみなさまへ
    いつも応援のメッセージをお送りいただいていることに感謝しております。
    あたたかいメッセージばかりで、桑山さんが元気をいただいていることは事実です。書き込みでは、だれも批判や批難したりはしません。ありがたいことです。
    桑山さんをあまりがんばらせないでください。
    まだスーパーマン(人類を超越した人)の域には達していない、普通よりちょっと卓越した人です。
    被災地にいながら、被災者を診てくださる、とても大切は方です。自身のケアもしながら、日々の活動にまい進しています。
    おそらく体を休める時間もほとんど取っていないのではないかと思います。人間らしい食事は摂っていらっしゃるのでしょうか?
    この被災地で病んだ人の回復にあたられ、この地の復興にも尽力される大切な方です。
    どうか、みなさまにお願いしたいのです。被災地はそれなりにがんばっています。「がんばって!」はよくお考えくださるとうれしいですね。桑山さんの全速力を、長いマラソンの速力に落として活動が持続できるような、そんな応援をお願いします。
    このような思いは、桑山さんにとって迷惑なのかもしれません。そうであれば、「大きなお世話」と嘲笑くださいませ。

  17. 桑山さん!
    おかえりなさい!!
    『本当の地獄がやってくる』を読んだ時、やりきれない思いでいっぱいになって、
    コメントしたくても、どうしても書ききれなかった。
    47人もの皆さんのコメントは、どれも私を代弁してくれてた。
    だけど桑山さんの心があまりにも痛々しくて、
    切なさでしめつけられそうだった。
    そして今日『涙の手拍子』を読んだ。
    地獄から天国のような、私の中に感動と喜びが満ち溢れてきた。
    ソマリアで、空っぽの紙袋のような、そして濡れた雑巾のような
    小さな2人の遺体を抱いて、落ち込んで逃げ帰った若き桑山さん。
    翌日、子どもの熱がホイホイ下がって、天にも昇るくらい嬉しくなった若き桑山さん。
    この活動は、自分が子どもに死なれてものすごく落ち込むタイプだとか、
    子どもの熱が下がって嬉しくなるタイプだとか、
    自分がどんなタイプか映し出す鏡になるんだな・・・
    って気付いた若き桑山さん・・・
    この2日間のメッセージでそんな事を思い起こしました。
    (おこがましくも、比較してしまってすみません)
    私は、桑山さんのブログを毎日読む中で、
    見た事もない、あった事のない人達とこのブログで出会い、
    悲しいメッセージにはこんなにも怒りや切なさを感じるんだ、
    嬉しいメッセージにはこんなにも嬉しくなって元気が出てくるんだ。
    私って、このブログを読む事によってこんなタイプなんだ・・・
    って知る事ができました。
    今夜はどんなタイプの私を知る事になるんでしょうか・・・??

  18. こんにちわ
    この前の地球のステージ、私達大沢中生は本当に感動しました。世界の広さ、厳しさ、そして人とのつながり。
    本当に素晴らしいものだと思います。
    閖上の写真では私が1年生のときに学年行事で歩いた道が映っていました。当時とは比べ物にならないものでで心が痛みました。
    歩さんがのっていた消防車は凄いことになっていましたね
    あの消防車や田んぼなどの写真を見てあの津波がどれだけ
    凄いものかが改めて分かりました。
    来年の3番は私は見られませんが、もしほかに機会があれば見に行きたいと思います。
    本当にありがとうございました。

  19. 自然にでた手拍子。それはきっと大人嫌いな中学生が大人という存在を受け入れた瞬間だったのではないでしょうか。
    なりたい大人の姿。たった一人の大人との出会いが人生を決めてしまうこともあります。
    桑山さんの背中を見て育つ中学生も多いと思います。
    ブログ続けてください。応援しています。

  20. 私は、大沢中学校です。この前のステージは本当に感動しました。私も、来年の3番は見られません。だけど、これからもぜひ大沢中でステージを続けて下さい。
    本当に、ステージを見てよかったです!
    私も出来ることから皆の役にたつようなことをしたいです。

  21. 5月18日に栃木県で地球のステージを娘とともに拝見しました。娘は中学時代のいじめから心の病気になり、引きこもりがちでしたが、最近やっと少し外に出られるようになったので、本人の希望によりステージを見せていただき、とても感動しました。もともとアジアやアフリカのピュアな瞳のこどもたちの写真を見るのが好きな子ですが、今回は映像に桑山先生の歌声も加わり、まわりのたくさんの観客も気にならなかったようです。先生と個人的にお話も伺いたかったようですが、また次のステージでお会いできる日を楽しみにしています。

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