いよいよ入学式

 今日も一日外来でした。

 心療内科はとにかく患者さんであふれかえっています。もちろん震災や津波の影響もありますが、未だ続く余震への不安が心の問題となっている状況でもあります。
 さて、そんな中今日は閖上小学校の入学式に出てきました。本当は閖上中学校の入学式にも出たかったのですが、そちらは午前中で外来とかぶっていました。いくらクリニックから10分の距離とは言え、なかなか両方の入学式に出るのは難しく、残念でした。でもいつも感動するのは閖上小学校の平山校長先生のお話です。
 一つ一つ、かみ砕き、小さな子どもたちにもわかるような話し方で接してくださいます。そして何が大切か、ちゃんと伝えてくださる校長先生のお話にいつも感動します。こういった校長先生の舵取りで、困難な時期にある閖上小学校の明日が見えてくるのだと思いました。佐々木市長さんもおいでになられて、こじんまりしているけどいい入学式でした。
桑山紀彦

いよいよ入学式」への13件のフィードバック

  1. 亮子さんの夢に出て来た家族の様子の話。表現が正しいかは置いといて何か、スゴいですね。母が亡くなって20年たちますが私は三回忌の年に母が初めて夢に出てきました。何を言いたいのか、嬉しそうに笑って、手を振って段々遠くに行き、やがて見えなくなりました。その直後に父の肺がんが分かりました。夢って不思議ですよね。亮子さん、また、夢の中の家族に会えて、色々思うのでしょうか?亮子さんをはじめ、被災された皆さんの心が元気になります様に。
    さっきも揺れましたね。少しの揺れで、私ですら、胸が苦しくなります。

  2. こんばんは。はじめまして。
    大地震からこのブログを毎日読んでます。時々、
    涙がぽろぽろでて、そのあと心がずっしりとしています。
    実家が「山のほう」で、弟家族の家族構成が亮子さんと一緒です。
    必死に読みました。
    亮子さん、ありがとうござます。

  3. 被災し家族を失った亮子さんだからこそ、同じ境遇の人の心のケアに関われるのではないでしょうか。賭けかもしれませんが、本当の意味での立ち直りに繋がるのと思います。

  4. 人生の大事な局面で「賭け」をする時、本能というか、動物的な直感というか、そういうものが力を発揮すると思います。
    学問とか理屈とかでなく、「今、これが大事」とわかる瞬間。 桑山さんの直感は本物だと思います。
    なんせ、空爆の最中のガザから生還するくらいの方ですから~。 大丈夫。 「これだ!」と感じることを大切にして、ひとつひとつそれを現実にしてゆきましょうよ。
    「祈念館」の建設費と亮子さんのアルバイト代。
    よ~し、集めるぞ~。

  5. 桑山さん、すごいです。亮子さんは、辛い事実をしっかり見つめようとなさっているのですね。亮子さんを知ってから、どうなさっているかと気になっていました。今夜ご様子を知ることが出来て嬉しいです、涙です。どうか街に残って、辛いと思うけど、桑山さんのそばで記憶を形にしていただきたいです。応援したいです。
    長い余震がまたありました。隣の体育館ではきょうから、桑山さんが買った炊飯器たちが活躍しているのですね。義援金を生きた使い方をしてくださるところへ、義援金を送りたいと思いました。
    きょう、総会のお知らせをいただきました。私の町の中学生を誘いたいと思いました。桑山さんとスタッフの方々と総会に集う全国の方々を、地域の子ども達に見てもらいたいと思いました。

  6. 桑山先生が亮子さんに提案された道標はきっと亮子さんを正しい方向へ導いてくれるような気がします。亮子さんのお話から感じられるのは、とても強い心の持ち主なんだということです。「現場を見てみたい。」「家族が夢に出てきて欲しい。」そしてその夢をちゃんと自分自身で消化しようとしていますよね。
    やはり記憶に封をしてしまえば、いつまでも前へ進めないのかもしれませんね。先生のおっしゃる、想い出を語り、紡ぎ出し、断片的な記憶の隙間を埋め、ちゃんと形にする。
    時間はかかっても、亮子さんにはきっと乗り越えられるように思えます。
    母親であり妻でもある亮子さんは、亡くなった4人の想いをこれからもずっと背負っていくことになるでしょうが、時にはこの4人から背中を押されることもあるのではないかと思います。子供たちや旦那様に見守られながら、一歩ずつ一歩ずつ前へ進んでいって欲しいです。

  7. 亮子さんの意志~下増田小学校の避難所と読み進むうちに、何故か「地球のステージ1」の歌を無意識に口ずさんでいます。
    ただただ、♪地球はまわり続け 陽はまた昇るから♪と祈るのみです。

  8. 昨夜の続きですが母が夢に出て来ない事をある人に話したら、「あなたに対して、ああして欲しかった、こうして欲しいとか伝える事は何もないって事よ。」表現がいまいちなんじゃけど、もっと違う表現じゃったけど、私に対して思い残す事はない的な話だったと思います。なので三回忌の年 父が肺癌だと知らされる直前に夢に現れた時「私に何を言いたあんじゃろう。」って考えました。数日後分かりましたが。笑顔で手を振って…が疑問に残りました。7回忌の法要で父に挨拶しろと言われ、この話を初めて口にした所、親戚中、口を揃えて言った言葉が「そりゃぁ智子ちゃん。お母さんは、お父さんが癌じゃけど心配せんでええよ。って言いたかったそいね。」普通に考えたらそうなんじゃけど、私は、「智子 お父さん 肺癌なんよ。もうじき、また、お父さんと一緒におれるようになれる。」と言われたのかなと受け止めました。父は末期だと医師から告げられていましたから…
    そして私は、仏壇の前に座る度に「わかっちょるじゃろうね。父さんおらん事なったら、私一人になるんよ。」と半ば脅迫じみた言葉を言ってました。
    亮子さんの夢の話を読んで夢で良いから会いたいって思ったり、色々考えた事を思い出しました。私は母が病気で亡くなってもそう思ったんだから、思いもしない出来ごとで、家族を4人もなくされたら…私の想像出来るものではないじゃろうね。名取の地で、少しずつ吐き出し元気になったらええなぁ。 調布に着きます。

  9. はじめまして。
    東京でライターをしているつなぶちようじと申します。
    今回の震災で何ができるかと考え、tohokublogs.comというサイトを作りました。そこにこちらのBlogのフィードを受けさせていただきます。
    東京では被災地の人たちに何ができるのかいろいろと復興活動が進んでいますが、これから何年もの継続した活動を進めるためには、地元の人たちの声がどんなものなのか、聞かない限りはうまく行かないだろうと思い、僕のできる範囲として、東北のBlogを集め、一ヶ所でザッと読めるようにしていくつもりです。
    こちらへはこのサイトを運営している法子さんに紹介していただきました。
    http://www.awaken.cc/awaken/pagesJ/jHome/jHome.html
    お知り合いで、そちらの状況をつぶさに書いているようなBlogをご存じでしたら、ぜひ教えてください。tohokublogsで読めるようにいたします。
    これから、時々読みに来ます。
    よろしくお願いいたします。

  10. 亮子さんへ
    私は、こちらのブログを通して、あなたを知りました。
    すれ違っても気付かないどうしだけど、心の底までわかってもいないけど、亮子さんがいることを知りました。
    身近でない者がいうのも変なんだけど、亮子さんを失いたくないのです。今日のことだけ考える日が続いてもかまわないと思います。
    もう、あなたがいると知ってしまったから、そう思います。
    …えーと、この伝言が不適切であれば、どうぞ削除してください。
    私は、亮子さんを知っているだけで、彼女にしてあげられることがありません。
    ただ資料館については、わずかながら資金面で関われます。
    資料館は「ある」ことが大事と思います。
    大好きだったメリケンパークは、壊れた舗道を残しています。見たくないけど、忘れちゃいけない、しかしなかったことにしたい…。
    「あった」ことに向きあえる場所が「ある」のは、誰にとっても大事と思います。

  11. 最近、腰を悪くした。年のせいか強い運動には耐えられなくなっている。体のあちこちにガタがきているようだ。
     数日前、仰向きに寝て起き上がろうと膝を使って空を蹴ったとき、突然腰にガクンと衝撃が走った。やってしまったなと思ったが、案の定それ以来なかなか痛みがひかなくなっている。しかたなく今日、二つの医院をまわった。一つは整形外科で注射をしてもらった。もう一つは接骨院で電気とテーピングをしてもらいどうにか日常生活に戻れるまで回復した。
     午前中、二つの医院を回ったせいで昼食が取れなくなった。
     僕は定時制高校の教師である。出勤は午後からのため吉野家で350円の牛丼を食べ電車に乗るのが日課であるのだが、今日は吉野家に行く時間がない。しかたなくコンビニで弁当を買って電車の中で食べることにした。
     コンビニに入り、弁当を買った。そこまでは良かったが、お茶を買おうとするとはたしてお茶がないのである。店内を見回しレジの後ろの方を見てるとると、タバコの棚がカラッポである。タバコもまったくなかったのである。店員に尋ねた。
     「弁当にはお茶がつきものだと思いますが、お茶はありませんか」
     「入荷の予定がないんです」店員はぶっきらぼうに答える。
     「タバコもないんですか」
     「震災の影響で、お茶もタバコもありません。いつ入ってくるかもまったくわからないんです」
     店員は、きわめて申し訳ないように答えた。弁当だけ買って電車に乗った。
     子供のころのことである。
     僕の家の前は砂利道であった。舗装されたのは随分たってからのことである。
     夏は窓を開け、団扇であおぎながら、扇風機にあったっていた子供の頃を思い出した。
     遠足には母親の作ってくれた弁当を持ち、水筒には家で沸かしたお茶を入れ、いそいそと遠足に出かけたことを思い出す。これでも充分楽しかった。今はなに不自由のない生活をしている。あの頃より今の方が楽しいのだろうか。今はいったい何が不満なのであろう。
     エアコンや自動販売機がなかった時代。私たちは本当に不幸だったのだろうか。僕はそのころに戻れというのではない。それがなくても幸せに暮らせていたということを、わたしたちは忘れてはいけないと思うのだが。
       和歌山  中尾
     

  12. 昨夜、高校のPTA役員会があり、地球のステージ公演の実施案を提案しました。費用がかかることなので首を横に振る役員さんもおられ、空気は重かったのですが最後は「やりましょう!」という結論。安心しました。
    ムードを変えたきっかけは、資料として添付しておいた昨年12月の益田公演のアンケートでした。
    参加した人の声を読んだある役員さんが「こんなに感動するものなら子供にも見せたい!」と言ってくださったのが転機でした。
    まずは課題の一つはクリアです。

  13. 亮子さんの「現場に戻って何があったのかきちんと知りたい」という気持ちを
    桑山さんは真っ直ぐに受け止めるのですね。ちゃんと形にできるまで支えるのですね。
    桑山さんの度量の大きさに今更ながら恐れ入っています。
    津波祈念資料館も何とか完成させたいですね。

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