怒濤の野戦病院

 今日もクリニックは野戦病院のようでした。

 市内のクリニックはほとんど開いていません。スタッフがガソリン不足で出てこれないんだと思います。
 今日はうちの残り少ない配給ガソリンを使って、事務スタッフの真由美さんが来てくれるようになりました。やっぱり本職はすごい。てきぱきと少しだけ普段のクリニックに近づきました。
今日は通常の心療内科の診察でしたが、45人の予約のうち来られたのはたった11人だけ。大まかに分けると亡くなってしまった人が4割、そしてガソリンがなくて来られない人が6割です。僕の多くの患者さんが亡くなりました。
 21歳の美奈子さんは引きこもっていました。いくつかのクリニックを転々とした末に僕のクリニックに来ました。最初は殻にこもった感じで、取っつきにくい印象でしたが、意外に箱庭療法はいやがられることなく、コツコツと続けられていました。そのうち笑顔がでるようになり、なんと家の中で内職までできるようになったのです。もう一息すると、社会に出てアルバイトもできるかも知れないと言っていた美奈子さんは、遺体で発見されました。
 修さんは、お母ちゃんとラーメン屋を営んでいました。でも修さんは外来でいつも言っていました。
「俺、ほんとはラーメン屋なんてやりたくないんだ。母ちゃんがやってっから、仕方なく手伝ってるだけなんだ。でも、じゃあ代わりに何かしたいものがあるかって言うとそれもなくて、俺って情けないやつなんだ」
 その修さんが今日久しぶりに外来に来てくれました。
 「接骨院が終わって駐車場にいたらすごい揺れが来たんだ。一瞬で電気が切れて信号機も止まったから、これはただ事ではないと思って急いで母ちゃんのラーメン屋に走ったよ。
 もう完全に傾いていて、母ちゃんを引っ張り出してから軽トラでとにかく山の方に逃げたんだ。でもその時彼女が働いてる工場が海岸寄りなことが気になって、何度か引き返そうとしたんだけど、みるみる水が襲ってきてよ。母ちゃんと逃げるのが精一杯だったんだ。
 次の日、彼女の工場に行ったら、ひっくり返ってる彼女の車見つけてな。駆け寄ったけど中には彼女はいなかったんだ。今も連絡なくてよ。もうダメかと思ってんだ。
 俺よ、正直言ってラーメン屋が津波でさらわれた時にきっぱりとあきらめがついたんだ。これで何もかも失った。俺はそこから始められるってよ、先生には変に思われるかもしんねえけど、本気でそう思ったんだ。この津波をゼロからの出発点にしようってよ。
 でも心の支えだった彼女がいないんだ。俺は彼女がいればやり直せると思ったんだ。でもいねえんだ。俺はどうするといいんだろうか。」
 ものは失われてもやがてその代わりによって埋められていくかもしれません。でも人はものではなく「存在」そのものです。代わりによって埋められることのない存在。
 修さんに、
「天に昇った彼女のためにも、ここで踏ん張って再起をかけよう!」
 などと言うことはできません。今はひたすらこの慟哭を受け入れていくことが肝要だと思うのです。
 一方で、すごいことも起きます。
 外来に来てくれている佐織さんは20歳と21歳の引きこもりの息子を持つお母さんです。彼女はずっとこの息子たちのことで悩み、僕の外来に来ていました。
「地震の時、息子たちは家にいました。私は買い物の途中で家には息子たちだけがいたんです。津波が来た時息子たちはどうしていいかわからなかったようですが、上がってくる水の流れから山の方角に逃げようと思ったようです。それでも迫る水に“もうダメか”と思ってあきらめかけたようでしたが、最後の力を振り絞ったらようやく自ら逃れることができて、今避難所に暮らしています。
 そして、息子たちは変わりました。
 避難所で誰よりも先に片付けをしたり、人の手助けをしたり。それまでずっと寝ていたのに、朝早くから起きて散歩したり、人に声かけたり・・・。夢のようです。
 息子たちは気付いたみたい。自分がいかに甘えてきたかったことを。踏ん張らなければならないところで踏ん張りきれなかった自分を恥じて、すべてのやる気と自信を失っていた息子たちが、津波と戦い、彼らなりに自分の命を守れたことで、達成感が得られたようです。
”かあさん、オレ甘えてた。自分で分をつぶして、生きてるって感じがぜんぜん無かった。でも命がけで逃げて、ようやくわかったんだ。俺がいかに甘えてたかってことをさ。ごめんな、かあさん”
 って言ってくれました。
 津波で私はすべてを失ったけど、息子たちが生き返ったんです。この子たちと一から生きていくって思えるように、なりたいですね」
 そんなことも、人生には訪れるのです。
 「扉は閉められても、窓が開けられる」
 こんな地獄の被災地にもやがて花が咲きます。
 今、カナダからの応援が心を支えています。大きな太平洋を隔てたカナダの地に住む人々が僕たちを支えようと動いてくださっています。「遠い地にいて何もできないいらだちを・・・」と2neko(常子)さんは言う。でも常子さん皆さんは偉大な心で、すごいことをしていらっしゃいます。
 僕は疲れ果てた時、カナダのみんなが本当に遠く離れたところに住んでいるのに、すぐ横にいてくれる「感触」に支えられています。だから皆さんはこの被災地のすぐ横にいらっしゃるのです。
 ありがとう。
桑山紀彦
6-1
避難所です。
明日から心療内科の巡回診療です。

怒濤の野戦病院」への42件のフィードバック

  1. 桑山チームの皆さんへ…祈ってます。「祈る」というのは「想う」こと。皆さんのこと…想ってます。

  2. 私たちは遠くにいますが、自分たちの仕事、役割をしっかりやり、被災者の方々のために出来ることはどんどんやっていく、ふんばります。桑山さん中心とする救済チームがそれだけふんばっているのですから。ふんばり、ふんばり、ふんばりましょう。少しでも光がさすように。

  3. こんばんわ。
    今日も国際さんは激動だったようですね。
    この大変な出来事はわたしにもとっても大きな試練をよこしてきました。
    でも、わたしは五体満足でまだ25さい。
    振り返らず前をみて、踏ん張らなければと桑山さんのブログを拝読して思いました。
    がんばらなくちゃ。
    現地のみなさんが少しでも長く眠りにつけますように。。

  4. わたしも五体満足でまだ25さい。
    やれます!
    遠い所にいてもニュースをチェックしていたら
    くじけそうになります。
    でも、あきらめない。
    ドクトルK!川原せんせー!
    スタッフの皆さん!!
    そちらからの奮闘記、弱音etc待ってます!!

  5. 今日の朝日新聞に、川原さんと桑山さんの記事を見つけました。
    これでまた少し皆さんに知って頂けるかと、前向きに考えております。
    自ら被災されながらも、人々のためにたった一人で医療活動をされている赤ひげ先生の報道もありました。
    まだまだ皆に知られていない所で、たくさんの方々がたくさんの想いでいらっしゃるのだと、肝に銘じました。
    桑山さん、皆さん、今日も遠い地の私たちの心まで救ってくださりありがとうございました。
    お体お気をつけて。ではまた、あした。      

  6. 桑山先生私も先生の診察受けたいです…
    先生にはこちらからだといつから行けるようになるのだろう…
    予約の時間の日付が近づいていますが…
    でも先生を必要としている人が
    今の先生の近くにはいっぱいいるのですよね…
    私は…私は…と自分の事ばかり考えてしまう自分がいて…
    でもどうしようもないのです…
    ワガママでごめんなさい。
    ワガママな感情を持ってしまってごめんなさい。
    桑山先生…このブログだけが
    先生を感じられる…
    桑山先生これからもずっと無事でいて!
    きっといつか会えると信じたい…
    私も先生の診察が受けたい…
    コメントに自分の事ばかり書いてごめんなさい。
    こんな時なのに…
    先生…気をつけてくださいね。

  7. なんとコメントしたらいいかもわかりませんが、本当にみなさまの尽力にただ遠方の自分たちの無力さを痛感します・・・。
    こちらでも物資支援の受付がはじまっていますのでできる限り協力していきたいと思います!
    みなさんには全日本人がついています!!
    みんなでがんばりましょう!

  8. 家族は今日も元気です。弟と少しぶつかったけど今日はけっこうお互いの気持ちをしゃべれました。
    今はとてももどかしいです。被災者の直接の助けになりたいです。けど自分はまだ何もできない。被災者の苦しみを考えると本当に苦しい。そして本当にもどかしい。だから無力なりにできることをしようと思います。南高での募金も形が出来つつあります。現地入りも好食感です。少しでも被災者の力になること常に考えています。
    親父さんもきついだろうけど頑張ってな!

  9. 17日診察していただき安心しました。本当にありがとうございました。
    お医者さん看護師さんが近くにいていただけることは、被災者にとってとても心強いです。
    まだ避難生活は続くと思います。気力を保つのは難しいです。
    報道では物資がかなり入ってきているようですが、避難所にはまだ届かないところが多いです。とにかく燃料がありません。
    作業に当られておられる方々の懸命なお姿に、深く感謝しています。全国の皆さん暖かいお心ありがとうございます。

  10. 協力隊として、地球のステージを観て、アフリカベナンに来ています。
    地球の裏側でも、心配してくれる人たちがいます。
    日本人として、誇りを忘れず、ここで出来ることをやっていきます。
    1人でも多くの人が助かりますように・・・。
    大変だと思いますが、お体に気をつけてください。

  11. オスロ大学の日本人学生達が頑張って義援金を集めました。 街中の各地で募金活動が始まりました。 
    募金をしてくださった方に差し上げる折り紙も盛んです。
    オペラハウスの日本人バレエダンサーやオーケストラ楽団員が中心となってチャリティーパフォーマンスも行われるようです。
    「地球のステージ」のブログも皆さんに紹介しました。
    みんな心は繋がっていると思います。
    この優しい気持ちをいつまでも忘れないようにしたいものです。

  12. 雪降ってますか 寒くてひもじいでしょう 往診も移動でガソリンが不安です 大臣が1日20万キロリットル東北に向けて輸送する準備が2・3日で整うと言ってました。じれったい話しですが ガソリンスタンドへ取りに行くガソリンは残しておいて がんばって 寒くてひもじい長い一日ですが では また。 

  13. 桑山さん、藤川さん、成田さん、後藤さん!応援してます。東京でもブログ見る人、増えてます!!!小さな国ティモールで出会った仲間は皆さんを応援してます。

  14. 桑山さん、チームの皆さん、お体は大丈夫ですか? 桑山さんと皆さんの無事が何よりです。
    一週間が過ぎ
    精神的にも肉体的にもピークを迎えます。ご自愛下さい。
    チーム桑山を少しでも応援しようと各地で募金活動が沸き起こっていると思います。
    あいの里でも色々な募金活動が始まっています。
    わずかですが、おやじの会からも義援金を送りたいと思います。
    チーム桑山に地球のステージに直接託します。
    子ども達も何か動き出そうとしています。 わき上がってくる物を持っています。
    昨年のステージの大学生スタッフ(北海道教育大学札幌校)も動き出しています。
    もう少しお待ち下さい。
    TVに写らない悲惨な状況を目の当たりにした子ども達の事を考えると心が痛みます。
    巡回診療で避難所にいる被災者の方達の心も救ってあげて下さい。
    P.S.
    息子さんのコメントすばらしいです。
    しっかりと家を家族を託せる男に育っていますね。
    憂い無く前に進めるように息子さんが背中を支えてくれていますね。
    戦時中にガザに入って行ける桑山さんの強さの一端を見た気がします。
    無事に家族の元へ返るのもおやじの勤めです。呉々もご自愛下さい。

  15. 2008年二本松の訓練所でステージの桑山さんと出会いました。桑山さん、スタッフのみなさん、応援しています。ずっと祈っています。そして、明日のステージ行きます!
    ただ疲労困憊の中のステージ、桑山さんが倒れてしまわないか心配です。
    でも今だからこそ、今の桑山さんの声を聴きたいです。
    そこで義援金はもちろん、他に何か少しでも役に立つ物で、桑山さんたちが直接受け取っても困らない、必要な物があれば教えてください!明日お渡ししたいのです。
    本当に私にできることは限られていますが、少しでも力になりたいという気持ちでいっぱいです。
    多忙な中でも休める時にはしっかり休んで、明日の歌声楽しみにしています。

  16. 患者さんが四割も亡くなってしまった・・・
    絶句です。
    時間を掛けて治療すれば、いい方向に向かうはずだったのに、時間が無くなってしまった。
    岩手山田町の親戚の家が、津波は免れたけど火事で燃えてしまったり、東海村の知り合いの家では、車4台が流されたり、私の家や実家、親戚も建物が若干壊れたりしましたが、誰もケガひとつしませんでした。
    生きている体が残っているのは、何と幸せなことか・・・!
    明日は、家族総出で実家の瓦礫片付けの手伝いに行きます。

  17. 診察に来られている患者さんの4割の方が亡くなられたと聞き、桑山先生の心痛のほどが痛い様にわかります。
    野戦病院さながらのクリニック、幾多の困難が待ち受けている中、ただ頑張ってくださいとお祈りするばかりです。
    小額ですが口座の方に義援金を入れさせていただきましたが、どうか、お体を大事にされ、被災された方の「希望」となってあげてください。
    ただ、ひたすら、エールを送るのみです。
      和歌山にて 
                 中尾秀樹より

  18. みなさん、お体は大丈夫ですか?毎日ブログを見させていただいてます。地球のステージでお世話になった卒業生の有志は震災後すぐ行動し日曜日から昨日までの5日間、在校生の生徒会のメンバーも2日間駅周辺で募金活動を行いました。ここ大和郡山市でも多くの人からの募金が集まりました。生徒たちの募金は赤十字等の団体に義援金として送ります。被災された方々のお役に立てることを願っています。桑山さんへの義援金は職員から少しではありますが送らせていただきます。応援しています!!

  19. いつも被災地に行き危険を覚悟で活動をしている桑山さんが被災者になってしまうなんてとてもショックでした。
    覚えていますか?カナダのトロント日系会館でおすしを食べて頂きましたね。すしマルシェの恵美です。今こちらでも日本への募金活動を沢山の人がしています。3月12日(土)にJCCCにて矢野あきこさんとSCOOP ON SOMEBADYさんのコンサートがありこの2組も心を痛めておりましたが応援歌として皆様を勇気付けられたらということで地震が起こった翌日なのにコンサートをしてくれました。私のお店でもその日寄付金集めにJCCCにておすしを販売、100パッケージのカリフォルニアロールを売り、その売上金すべてを赤十字に寄付します。おかげで1000ドルの寄付金が出来ました。店のお客さんも、中には30ドルのランチを買って20ドルの募金をしてくれたり (I don’t think this is enough、 but,,,と言いながら。)特にこちらの日系社会はすごいことになっています。多くの人が個人で私には何が出来るのかと真剣に考えています。日本の皆様、頑張ってください。私たちも出来る限りのこと、していきます。

  20. 桑山さん、ご無沙汰しております。(東ティモールでご一緒しました。)現在名古屋におります。明日愛知県にいらっしゃるようですね。何かお持ちするものがあったら、なんでもおっしゃって下さい。清恵ちゃんもがんばって!

  21. カナダの地球のステージ実行委員の方から先生が被災されたと聞き、その後毎日ブログを読ませていただいています。
    戦地で治療されてこられた先生が、現在の日本の状況を同じようだと書かれているのを見て、今回の震災がどれだけ深刻だったのかを思い知らされました。
    カナダで報道を見ているだけの私でさえ日々鬱々としてきてしまうのですから、被災された方、日本にいる方のストレスは計り知れません。どうか事態がよくなることを祈っています。

  22. この度の大震災のことを、なんと書けばよいのかわかりません・・・。巨大地震がくる、くると言われ続けている私たちは、あの時「とうとうやってきた!!」と思った瞬間でした。
    何の情報もなく、外出先から数時間かけての帰宅途中に、開放してくれていた病院のテレビ映像を見て絶句しました。
    『私たちの恐怖とは比べることも出来ない惨事!』
    を目の当たりにし、あまりのことに絶句しました。
    あれから1週間、こちらも計画停電、電車の運休、ガソリンが手に入らない、などなど、今まで経験したことのない事態に頭が働かない状態でした。
    今、私たちの合言葉は、色々な状況も『被災地の人たちのことを思ったらなんでもない』です。
    でもこんな言葉も、実際に被災したり、被災地を目の当たりに見た方たちからすれば、何とも歯がゆいかもしれません。
    買いだめしない、義援金を送る、祈りの心で想いを馳せる・・・今はそんなことくらいしかできませんが、送金させていただきます。(横浜市)

  23. 私達は忘れません。
    遠く離れたオスロでも募金活動が盛んです。地元の公立小学校でも日本に送る募金を集める事になりました。
    応援しています。

  24. 岐阜県大垣のおやこ劇場 事務局のものです。
    全国フォーラムの掲示板からきました。
    被災地でのみなさんの様子に胸があつくなります。
    こちらのブログをリンクさせてください。
    応援しています!

  25. 桑山さんの息子さん、立派ですね!
    父として家族のそばにいられないこともきっとストレスになるのだと思いますが、
    支えてくれる息子さんがいるって有難いですね。
    背中を見て育つ、といいますが、このブログを見てしっかり頑張ってくれると思います。
    再会したら抱きしめてあげてくださいね。

  26. 先生、お疲れ様です。
    地震で多くの人や物が失われてしまったけれど、得たものもありました。
    人の温かさと、勇気です。
    いわきに残って、踏ん張ります。
    もう少しで、患者さんの為に働けるようになります。
    先生、ありがとうございます。頑張ってください。

  27. 桑山さん、お元気ですか?ご無沙汰しています。
    東ティモール/山形でお会いした田村です。今、マニラにおります。お元気なブログを拝見し安心しております。
    地震の当初、真っ先に、桑山さん・藤川さんのことが浮かび、だいじょうぶかと思ってHPを開いたら 国際クリニックの医師・看護師募集があったので、自分のFacebook とtwitter にのせておきましたよ。去年南スーダンで会った川原さんとの最強というか、えーありえない???この世にタッグチームが出現、きよえさんも加わり、私自身わくわくしております。
    こちらにいると、何もできないので無力感や罪悪感がこころにつのるばかり。MSFとかNGOで緊急をやった経験を生かし、また山形と東北の地理勘や人脈を生かして、支援活動をしたいと思いばかりが募る毎日。。。
    被災地にいる方、現場の支援者の方、共に、大変でしょうが、すこしでも、皆さんの笑顔がもどりますよう、こちらからも、お祈りしております。
    田村

  28. 桑山さん、みなさん、本当にお疲れ様です。
    今回の災害の後、私の職場では、どうしても障がいのある人たちのことが、話題に上がります。
    この状況に適応できているのかと、心配で心配でたまりません。個人的に誰かを案じているということではなく。
    今日のこのブログを職場の仲間に紹介しました。
    私たちは、心配している私たちは何ができるだろうかと、
    若い先生がつぶやいています。

  29. 明るく。
    こんな言葉を今使ってしまうのは不謹慎であるとか言われるかもしれませんが。
    お子さんたち、しっかり桑山さんの姿をずっと見てきましたね。それだけ、桑山さんがお子さんたちに寄り添ってきたのもあります。そして、息子さんたちだけでなく、地球のステージで出あった子どもたちを同じように育ててきたのだと思います。元気が湧いてくるように。今、日本では不安材料ばかりで明るい話題や事柄がないように見えます。大人の考え、事情であったり、日本人のとても真面目な国民性もありますか。しかし、こんな時だからこそ、子どもたちには少しでも気をそらせる、一時でも暗いことを考えなくてすむ明るいことに触れさせてあげたいと思います。被災地の子どもたちもしかり、日本中の子どもたちも。まだそんな状況になっていないのかもしれませんが、子どもたちの心を考えると救済と同時進行で提供できたらなあ、と思います。で、行動しようと思っています。お年寄りにとってもそうです、不安で心配の毎日ばかりでは見えない無意識のストレスがたまって体にも響いていきますから。元気づけたいですね、明るくなれることを考えて。

  30. 桑山先生、お久しぶりです。
    と言っても、先生は覚えてらっしゃらないと思います。
    7・8年前、米沢の高校で先生のステージを見てから何度か、先生のステージを見せて頂いてました。
    今回の地震で、私も被災しました。
    職場で、立っていられないほどの地震…怖くて怖くて、今でもよく眠れない。
    仕事にはなんとか行っていますが、職場で少しでも余震があると発狂しそうになる。
    そんな私に、同僚の目は冷やかです…
    幸い仙台市内の街中なため、電気水道は復旧しましたが…この余震の続く中で一人というのはものすごく怖いですね。
    地震が落ち着いたら、先生に診察して頂きたいな…。
    名取はもっと大変でしょう、津波の映像はものすごく衝撃的でした。
    なんとか、この被災を乗り切りましょう。生き延びましょう。
    沢山の命が失われた中で生き残ったのは、生かされたのはきっと何か意味があるのかもしれないと、そう思います。
    桑山先生、先生も体調にはお気をつけください。
    仙台から、応援してます。

  31. 父のブログにコメントした桑山Jr。素晴らしいぞ!
    君のオヤジ、本当に踏ん張ってるんだよ!
    一週間過ぎました。これからが踏ん張りどころだ!
    たのむぞ!桑山!

  32. つい先日のあいの里でのステージから、間もない東北関東大震災。
    私にもなにか力になりたい、身体一つで被災地でお手伝いしたい、という気持ちは湧き出ます。
    でも、だからといって何が出来るわけでもなく、募金や桑山さんのブログやテレビを見て涙を流すことくらいしかできないのがなんとももどかしい自分です。
    だから、やっぱりチーム桑山のみなさんに託したい。
    札幌と仙台とは遠くないです。
    ひとつひとつ少しずつ進めば、前には進みます。応援しています。みなさん、お身体、体調には気をつけてください。
    あいの里から応援しています。見守っています。

  33. 奈良の落葉です。地球のステージを観たことのある在校生・卒業生・保護者・教職員からの募金の第1便送りました。驚いたのは、1人当たりの額の多さです。いわゆる”募金”ではない”寄付金”と呼ぶべき額が大半でした。もちろん、募金は額ではないでしょうが、地球のステージで桑山さんからもらったものが、とてもとても大きかったんだと思います。「ブログ観ました。次回はぜひ観たいです」と言って寄付金を持ってきてくれた非常勤講師もいました。卒業生の進路のことで来校した河合塾の方も募金してくれました。次回の地球のステージを期待しています。しかし、今は現地での医療活動に専念して下さい。ロエナスやアカペトもきっと応援してくれているはずです。

  34. 息子さんたちは、父の背中を見て育ってるのですね。
    明日の愛知県のステージ。他の用事をドタキャンして行くことにしました。

  35. 桑山さん、本当にお疲れ様です。大垣北高校の生徒です。
    被災地の状況、目にするたびに胸が締め付けられると共に、本当にこれは日本なのかと信じられない気持ちでいっぱいです。宮城で病院をひらくと前におっしゃっていたので、どうだろうと思い、ブログに来てみました。どんな状況であってもやるべきことを見失わない桑山さんはやっぱりすごいです。私は将来医療に関わりたいと思っているのに、何も被災地の方のために出来ていません。高校生でも出来ることはたくさんある!!!
    高校でも募金活動をするので、自分に出来る事を現実から目を背けずに精一杯協力していきます。
     被災地の方々、遠い岐阜の地からではありますが、駅前で必死に募金活動をしている高校生、地区で義捐金を集めている市町村、そして毎日少しでも節電しようと心がける人がたくさんいます。
    絶対にあきらめないで。日本全国があなたたちを応援しています。あなたたちの笑顔を祈っています。
    絶対にぜっったいに立ち上がれます。這い上がれます。
    不屈の日本の精神を今こそ発揮しましょう!!!

  36. 桑山兄さん。報道で名取市の映像を見たとき、背筋が凍る思いがしましたが、クリニックも皆さんも、ご無事な様子。本当に安心しました。現地の様子をただ、涙ぐみながら、見守っている毎日です。関西にいる人間にできることは「自分のやれることをやって、節度を持って、毎日を丁寧に生きる。」ことだろうと思っています。阪神大震災のとき、東北の皆さんにも助けていただいたことを、関西のみんなは忘れていませんからね。

  37. まさかこんなかたちで桑山先生、なみか先生と一緒にお仕事をすることになるとは思っていませんでしたが、本当に小さなティモールでの出会いは今もしっかりつながっています。出会いとつながりに感謝。自分にできる精一杯をやるのみです。

  38. 東ティモール時代の懐かしい仲間達の声援 うれしいですね! みんな戦友だもの!! 
    暴動など緊張状態の東ティモールで ガラスを割られぼこぼこに被害にあった継ぎはぎだらけの車で たくましく市内を走り回っておられたミチヨ先生の明るい笑顔 忘れられません。
    辺境のメハラのシスター達も桑山チームの活動を日々祈ってくださっているとうれしい便りが届きました。
    オスロはまだ雪に囲まれていますが、義援金活動する方々の心はあついです!

  39. 先程、桑山さんの大口での講演、ニュースで見ました。気力で持ちこたえる時期は、長くないですよね。続く余震のなか安心して眠れない夜をお過ごしとのこと、どうか今夜は揺れませんよう祈ります。辛い気持ちでも、泣きたくても、どうか1日1日命をつないでくださいね。私も、毎日皆さんのことを思います。そしてできる行動をしていきます。

  40. 被災地に目をそむけて一度逃げた自分に何かできないかと、今、新しい被災地支援のチャリティサービスを有志の仲間と立ち上げています。このブログを知ったのも色々と調査をしている中で偶然にもたどり着きました。桑山さんの活動を今回初めて知り、その誠実な姿勢と真摯に患者さんや被災者の皆さんに向き合われている姿に感銘を受け、正直涙が止まりませんでした。今、私たちが作ろうとしている新しいサービスが皆さまの一助となるよう、気持ちを新たにさせていただきました。ありがとうございます。頑張ってください。東京からですができる事を全力でやります。東日本は必ず復興します!頑張りましょう!

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