大刀洗平和記念館

今日は山口県、周南市の徳山小学校でのステージでした。

山口の小学校は制服と言うこともあり、非常にお行儀が良いという印象の強い県です。そしてその通り、今日も90分間見事に聴き通した徳山小学校の子どもたち。特に今回は学校側の希望で「ヒロシマ篇」を入れてほしいとのことだったので、少々難しい内容となりましたが、本当によく聴いてくれたと思います。

さて、そこから160キロ、高速で走って向かったのは、福岡県筑前町にある「大刀洗平和記念館」でした。

ゼロ戦パイロットだった我が伯父、中田稔が亡くなって2ヶ月。現在遺品の整理をさせていただいている中で新しい作品、「ゼロ戦と大地」と制作していますが、その中でどうしてもこの「大刀洗平和記念館」の協力が必要と判断し、今日訪れました。

山本寛館長は、「地球のステージ」の目指すところをよく理解してくださり、記念館の全面的な協力を得ることができました。

館内の撮影許可を戴き、必要な資料の提供を受けることができることとなり、さらに進んで再来年の3月27日には、ぜひその「ゼロ戦と大地」と、パレスチナ篇などを組み合わせたミニステージを記念館のゼロ戦の前でやろうということになり、意気投合できました。

伯父がどんな思いでゼロ戦に乗り、大空を舞い、どんな気持ちで終戦を受け入れ故郷に帰り、どんな気持ちで65年間土に生きてきたのか、完成は年内を目指そうと思っています。

テーマは「夢を持つこと」「戦争の影と人間の生き様」「大地に生きること」~平和と命です。

帰りがけ、カトリック小郡教会に山元神父様を訪ねましたが、タッチの差でお会いできませんでした。でも、福岡空港に着く頃には電話で話せました。神父様もお元気そうで何よりです。

一路、仙台空港に飛び、「閖上の記憶」で河北新報の取材を受けました。夜もとっぷり更け、22時過ぎ。外は零度。凜と冷える名取に戻ってきました。

桑山紀彦

 

大刀洗平和記念館」への1件のフィードバック

  1. 太刀洗平和祈念館のお話、なぜかぞくぞくっとしたものを感じました。
    完成が待ち遠しいです。
    それにしても相変わらずの強行軍ですね・・・・。

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