サッカー高校生

彼は今高校2年生。サッカー一筋で勉強が後回しになり、成績は放物線を描いて落ちていきました。
 しかし、サッカーに燃え、1年生の頃から試合に出たりしていました。
 2年生になった5月のある日。フォワードの彼は練習試合で相手の選手と接触しました。その瞬間右膝に強烈な痛みとガクガクした感覚。駆け込んだ救急では「単なるねんざ」といわれたものの、納得できず父親のつてで地元J1チームのチームドクターをする整形外科医に駆け込んだのは夜も9時を過ぎていました。
「残念だけど、切れてるね。前十字靱帯断裂だと思うよ」
 彼の表情が凍りました。言葉もなくただただうなだれていました。
 数回の検査の末、完全に靱帯が切れていることを確認の上、6月末に手術を受けました。通常手術から1年間は全力での試合は無理です。
 しかし、彼は入院中のベッドで自分がサッカー部の部長に選出されたことを知ります。
「こんなケガをした自分を、みんなが信頼してついてきてくれるのか・・・」
 彼は一念発起します。
 来る日も来る日も痛みをこらえてリハビリに通い、雨の日もカンカン照りの灼熱の日も病院に通い続けました。
 しかし試合には出られません。
 「部長なのに・・・」
 そんな思いを押し殺しながら彼は懸命に練習や試合の会場に通い続け、一切「休む」ということをしません。ただただ見ているだけなのに、です。まさにコケの一念。
 そして10月。手術から4ヶ月目。筋力測定をした時のことです。
 主治医の先生が言いました。
「うん、だいぶん戻ってきているね。健側(ケガしてない方)の約8割まで患側(ケガした方)の筋力が戻っているよ・・・。ん?あれ?この筋力がある方って、ひょっとして患側?!」
 そう、彼はリハビリを頑張り、なんとケガした方の筋力がケガしていない方の筋力を上回るという結果をたたき出してしまっていたのです。
 そこで彼はいいにくそうに主治医に聞きました。
「あの、先生。10月23日に大きな試合があるんです。それを復帰試合にしたいんですが・・・。」
 先生は迷いました。しかし血のにじむようなリハビリをして筋力を維持し、靱帯もくっついているようです。
「分かった。一応MRIをとって靱帯の状態を確認して臨もう」
 そしてMRIの結果は良好。靱帯はちゃんとつながっています。しかし主治医は警告しました。
「ふつうは半年から1年待つものだ。万全とは言えない。また切れるかも知れない。でも、君がやる気であればこれまでの努力に鑑み、出場は可能と言おう。しかしあくまでパフォーマンスは8割と心得るように」
 そして彼は復帰していきました。
 前十字靱帯断裂から5ヶ月。手術から4ヶ月目のことでした。
 その後試合や練習を重ねても、特に異常を訴えることはなく年が暮れていきました。
 そして12月28日。彼はまた膝を打ってしまいました。走る激痛。内出血して腫れ上がる右膝。
 覚悟を決めて受診しました。
 また、靱帯は切れていました。半月板も4分の1損傷していました。
 「なんで自分ばっかり」
 「どうしてこんなことばっかり」
 「部長もやめよう」
 「サッカーなんかやめてしまおう」
 彼は心の中でずっとそれを繰り返し、入院中にお見舞いに来た後輩にも、
 「俺、もう高校ではサッカーやれない」
 悔しそうに伝えていました。みるみる心がすさみ、誰とも口をきかなくなっていきました。
 入院で年が明けました。長くて遅すぎる時間の流れの中で彼はどんなことを考えていたでしょうか。そして退院しました。
 彼の父親が偶然同窓会で、膝を専門にする整形外科医になり、滋賀で開業している同級生と再会できて話しをしていました。
 その整形外科医が言いました。
 「高校でのスポーツは自己実現の場だと思う。自分がそのスポーツや仲間たちとどう向かい合うかが大切だ。その意味では膝は単なる“パーツ”に過ぎない。大切なのは“心”だ。彼が仲間に信頼され、仲間が彼を支援するのであれば切れたままでも続けるべきだと思う。そりゃあパフォーマンスは落ちるよ。でも、大事なのはみんなに信頼される部長として、最後の日までサッカーを全うすることだと思わないか。試合の成績がどうとか、膝がどうとか、それは第二第三の課題だと思うよ」
 心ある整形外科医の言葉でした。
 そして1月3日。これからどうするか、の話し合いがもたれました。
「君は、キャプテンとして同級生や、後輩に信頼されているか?」
「うん、まあ・・・。でもなんでそんなことを聞くの?」
「聞いたことがあるかも知れないけど、前十字靱帯は切れたままでも走ったりはできるんだ。もちろんすねの部分が前に飛んでいきそうな感覚は出てしまうけどボールを蹴ったりする分には、実は問題はないよ。切れた方が軸足でなかったことが幸いしたんだ。」
「うん・・・」
「なあ、サッカーの試合ではそれぞれが役割を果たすよね。靱帯が切れたままだと、十分なパフォーマンスが出せないから、君は今までのようにシュートを決めることはできにくくなるかも知れない。でも、君は部長としてみんなに信頼されているじゃないか。だったら、後ろから大声で指示を出し、チームをまとめていくという“役割”が残っているじゃないか。
 エース・ストライカーという役割は難しくても、チームの司令塔としての役割は君でないと果たせない。それが信頼されているということの意味だと思う。」
「・・・」
「ケガをしてもあきらめない姿をみんなに見せようじゃないか。“俺はどんなにケガしたってぜったにあきらめないでピッチに立つ”って姿を見せ続けることに、大きな意味があると思うよ。そういう部長にみんなはついてくる。だから靱帯は切れたままだけど、5月の県大会を目指してがんばろう。そしてすべてが終わったら、ちゃんと手術して靱帯をつなぎ、そのあとに本当の復帰を果たそうじゃないか」
 みるみる彼は涙を流し、それは号泣に変わっていきました。心の中でずっとこらえてきたんでしょう。
「もうやめる」
「でもやめたくない」
 その気持ちの狭間で苦しんできたんでしょう。こんなに泣いた彼を見たのは誰もが初めてでした。
 
 今日も彼はリハビリにいっています。そしてまだボールは蹴れないのに部活動に出続けています。そうやってあきらめない姿を見せ続ける限り、彼のこの2度の大ケガにも意味があったと思えるようになることを祈っています。
 
 何かを失うことで何かを得るのが人間なのかも知れません。
 ドアは閉じられたと思うと、窓が開いているものなのでしょう。
桑山紀彦
 

サッカー高校生」への3件のフィードバック

  1. 私の高校生活は、県大会ベスト4と、関東大会出場を目指し、バスケットボールに明け暮れる日々でした。
    教室での授業の記憶は、あまりありません。
    その時痛めた、右膝と右手親指は、30数年経ちますが、いまだに違和感があります。
    その時の仲間と、先輩、後輩とは、今でも時々顧問の先生を囲み集まっています。顧問の先生とは、家族ぐるみのお付き合いをさせていただいていますし、プライベートな相談にも乗っていただいていて、本当に、かけがえのない恩師です。
    現役時代、つらくて何度辞めようと思ったことか。
    辞めなくて、本当によかった。
    桑山さん、「彼」にお伝えください。
    高校時代の仲間は、一生の宝物です。

  2. うわぁ~  涙が出て鼻水まで出てきます。
    どんなにか悔しい思いをしたのでしょうね~。かわいそうに・・・。
    子供たちの成長を見守る事は嬉しい事であり苦しい事でもありますよね。
    多少の後悔や失敗があっても自分で考え、選んで来た事なら納得するでしょう。
    大切なのは今、頑張る事。(なんでも)
    親たちはそれを応援する事だと思います。
    彼が何年かして、「まぁこんなもんさぁ~」と爽やかに言える素敵な大人になれるといいですね。
    青春だなぁ~。
    「がんばれよー!!!」

  3. 会社のデスクですが・・泣いてしましました。
    最初の靭帯が切れても試合にでられなくともリハビリにがんばって耐えてる姿。
    また、ダメになって、あきらめて荒んでしまう心。
    そして、大事なのは心だと。あきらめない姿勢だと贈られた言葉に、泣き崩れ号泣し、わだかまりも流した彼。
    そんな情景が目の前に見えて、思わずもらい泣き。
    「あきらめないこと」って人間のすばらしさ、力強さ、美しさだと思います。
    良いお話ありがとうございました。今年もよろしくお願い致します。

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