30年目の同窓会

昨日、故郷飛騨高山で高校時代の同窓会がありました。
 28歳の時に1回開催して以来20年ぶり、実に卒業後30年ぶりの学年同窓会でした。
 誘いがきた時は、どうしても行きたくて「○」をつけて出したものの、同日兄に送られて豪奢なホテルに着いた時は緊張しました。
「自分はどうみられるのだろうか」
 そう、またあの中学校、高校時代の自意識過剰な自分の悪いクセがよみがえってきたのです。
 案の定ロビーにたむろしながら、「久しぶり~」と大きな声ではしゃいでいる同級生を遠目に見た時、とても入ってはいけませんでした。そう、一番苦手な場所なんです。
 修学旅行も嫌いでした。だって、
 「二人組になって~」
と言われると、必ずあぶれるのは自分でしたからね。そんな、
 「自分は好かれていない」
 ということをわざわざ感じるような場所に行きたいとは思えなくて・・・。苦しい気持ちでした。
 それでも、どんな荒れた学校のステージにだって尻込みしないで立ち向かってきた自分ですから、どんなに膨大な期待を寄せられて失敗は許されない敷居の高いステージにだって、逃げないで立ってきた自分ですから、それを胸の中に確認しながら、その緊張する「輪」の中に入っていきました。
 すると、
「桑や~ん。きてくれたの~!」
 と女性の声。振り向くと粟やんの姿が・・・。粟瀬さんはいまは「榎(えのき)」先生となり、3年前に2年連続で高山市立中山中学校にステージを呼んでくれた中学校の先生です。
「あ、粟やん、よかった~。緊張するわ~」
「何いっとんの桑やん、みんながあんたのことをまっとるよ」
 そんな、ステージでつながっていた同級生に背中を押されて、少し楽になりました。
 そして着席。いよいよ同窓会が始まってきました。
同窓会1
緊張の同窓会
「あ、梶田君!」
「お、桑やん、久しぶり~、この間弟の学校にきてくれてありがとう。先生やっとる弟がずいぶん感動しとった。本当にありがとな~」
「うん、良い中学校やったでな。よろしく伝えて!」
同窓会2
梶田(かじた)君
(これは、時折ステージのあとの質問コーナーの中で出てくる梶田君です。「中学校時代、何一つ自信の持てない日々の中で、たった一つ嬉しかったのは音楽の山下先生に、”今日は嬉しいことがある。このクラスの中で、二人だけ、大きな口を開けて歌っているすばらしいやつがいる。それは桑山と梶田や!と言われ、それが嬉しくてそれ以来歌を歌う時は、口を大きく開けて歌うことが出来るようになったんだ」という話に出てくるのがこの梶田君なのです)
下呂で羽振りの良い歯科医師をしている二谷(ふたつや)君がこっちに気づいて、
「あ、桑山君じゃないか。サインもらっとかないと」
「え?何いってんの?そんなんじゃないよ」
「え~、でもこの150人の中で一番活躍して有名なのは桑山だろう~。みんな知ってるよ。世界を股にかけて活躍してんだって。同級生の誇りだよ」
「・・・」
「あ、藤やん!」
「あ、桑やん。この間よかったよ~。うちの娘の中学校にきてくれたじゃないか、ステージ」
「え、藤やん、父兄でいてくれたの?」
「もちろんだよ~」
「声かけてくれればよかったのに~」
「恐れ多くて行けなかったよ~」
「そんな~。藤やんにこんなふうに逢えて本当に嬉しいなあ~」
「俺もだよ~」
同窓会3
藤やんこと、藤本君です。
ゆっくりと気持ちが解けていきました。
「あ~、みんな同級生なんだ。みんな仲間だったんだ~」
その後いろんな言葉をかけられました。
「いや~、めざましテレビ見てたらさ、桑やん出てくるんだもんね~。びっくりだよ。思わず女房に、“あれ、俺の同級生なんだぜ”って言ったら、株上がっちゃったよ~」
「夜にさ、ニュース23見てたら、桑山出てくるんだもんな~。おまえ死ぬなよ。あんな危ないとこ行っちゃちゃいかんだろ~。でも、桑山なら行くだろうな、これからもな~」
これはともに2009年1月のガザ危機の空爆下で仕事した時の話しですね。
「な~、少しはバイオリン上手くなった?高校の文化祭の時はひどかったよな~。俺ヒヤヒヤしてたんだよ~」
「あれ、桑やん、今日は髪短いね~。長髪はどうしたの?」
「ねえ、桑やん、まだ“スナフキン”って呼ばれてる?」
「桑山、いまでも自転車こいでるか?」
みんなの言葉に泣けてきます。
 そして思いました。僕は明らかに自意識過剰であったと。そして僕はこの30年間、ずっとみんなに嫌な思いをさせてきた、嫌なやつだと思ってきたんです。でも、それは違うのかも知れない。もがいてもがいて、苦しくて苦しくて、周りに迷惑をかけてはきたけど、でも決してそれは誰かを傷つけようと思ってやったことではなく、自分の内面にある不全感をどうにかしたくて、もがいた結果だったのだろう、と。
 だから、「時間」という薬によってそれらはみんな癒されていく。誰かがわざと誰かを傷つけようとして行った行為でないのであれば、それは「時の薬」によって解消され、
「久しぶり~元気だった~?」
 ですべてが和解してしまう。
 やはり人間は長生きするべきものだと思いました。
 ここまできて僕はある決心をしました。
 やはり、あの人に謝りに行こうと。あの日、あのとき、あの場所でみんなで寄ってたかって意地悪をした、あの新任の高校教師に。
 幼い僕たちのしたことは、集団であり、言葉の暴力であり、人を意図的に傷つけるものでした。新任できたその先生はさぞ苦しんだはずです。僕たちは皆そのことを知っている。でも、口には出しませんでした。
 僕は大垣北高校の素敵な先生たちと仲良くなるたびに、その先生のことを思い出していました。
 その先生も意欲に燃え、志高らかに飛騨の高校へ赴任したはずです。しかしそこに待っていたのは山猿で、世間知らず、そして集団となれば何も怖いことはないと勘違いしたアホな高校生だったのです。授業を無視したり、悪口を書いた紙を回したり、平気でその先生の出す課題に文句付けたり・・・。
 日頃はおとなしいはずの女子もいつの間にか荷担して、その集団に加わってしまっていました。
 
 僕は人知れず調べ、その先生がいまでも現役で、岐阜県内のある町で高校教師をされていることを突き止めました。いつか謝りに行こう。その先生が「そんなこと、今さら謝られても迷惑!」と言うかも知れないけど、でもやっぱり人が人として生きていく中で、意図的に心を傷つける行為をしたのであれば、それは、30年経っても謝りに行くべきだと思うのです。
 でも気持ちは揺らぎます。
 「今さら何?」
 その先生は言うに違いない。だからずっとこの半年迷ってきました。でも昨日同窓会に行って何人かに話しをしたら、
「え?○○先生、教師辞めたって聞いてたなあ」
 と言います。
 まずい、それではいかん。そんなふうに葬ってはいかん。その先生はいまも現役で高校生に教えているのだから。
 
 僕たちは、そうやって集団で人を傷つけたことをいつの間にか忘れてしまいます。でもその先生の中には絶対に「傷」として残っているはずです。だって、「一人対集団」だったのですから。その先生の中では絶対に忘れることの出来ない「傷」になっているはずです。
 まずは手紙を書こうと思っています。そしてもしも逢わせていただけるのであれば、ちゃんと逢いに行きたいと思います。
 30年の時間は、人との間にあった壁をきれいに取り去ることもあるけれど、ますます強固な壁にしてしまう危険もはらんでいるはず。
 30年目の同窓会。大きな節目になりました。これは「地球のステージ6番~番外編」に何らかの形で組み込むべきと思っています。
皆さんはどんな年始でしたか?
桑山紀彦

30年目の同窓会」への8件のフィードバック

  1. 桑山さん、スタッフのみなさん、あけましておめでとうございます。
    高校の同窓会ですか。30年の時間が、一気に逆戻りしますね。
    ステージで聞く桑山さんの高校生活は、決して楽しそうなものではなく、悩みや迷い、孤独感が漂う感じですが、同窓生は、必ずしもそう思っていたわけではなかったのですね。
    以前、中山中でステージがあったとき、榎先生が、「高校のとき桑やんが、マルクス(だったかな?)を、とてもおもしろく解説してくれたのが忘れられない。」旨、話していたのが印象的でした。
    高校のときは気がつかなかっただけで、思ったより良い評価されていたのだと思います。
    あ~~!私もクラス会しないとなぁ~。卒業して31年もたつのに。幹事なのに・・・。

  2. 明けましておめでとうございます。
    東ティモールの活動お疲れ様でした。
    お元気なお姿で同級会参加され安心いたしました。
    いろいろな状況で行われる、日々のステージの大変さを乗り越えられる桑山さんも、一瞬にして中学生の時の感覚に戻られるのですね。
    勇気を出して、輪の中に入って行くことは自分の大事な心の力を使うこと。傷を思い出したくなくて、適当にしていてはいつまでも変わらないのかもしれません。
    毎日面倒なことを避けがちになりますが、新春から緩んだ私の心を気づかせていただきました。
    高校時代の先生にお会いになられると良いですね。
    今年もいろいろな事にチャレンジされる桑山さんと、スタッフの皆さんのご健康をお祈りいたします。

  3. 人の中に入る勇気…自分も高校時代はなかなか回りに馴染めず孤独との戦いが続けていました。しかし高3の時の文化祭で合唱コンクールがありクラスメートに「お前ギター出来るだろ」と言われオレは「うん…」と言いました。中学生のころからギターは初めていたが、こんな大舞台で演奏なんて…と思ったが「何かが見つかるかも」と想い演奏しました。すると雨のように拍手がふってきました!そんな時思ったのが「自分みたいな人間にも受け入れられているんだ」と思いました。ステージ6番の曲早く聞きたいですね。是非CD販売を検討してください。

  4. 年始は毎年決まっています。血の繋がった親戚が集まり、お互いの健康を確認し合いました。どれだけ飲まされたのだろう…
    同窓会。昔だったら深刻な話も、今となっては懐かしい笑い話になってしまうから不思議です。
    昔は、内向的な桑山さんも周りの皆さんも、お互いにどう付き合ったらいいか解からなかったのかもしれませんね。
    勇気を持って、心を開くことで、お互い分かり合えることもあるのですね。
    もし、昔の自分と話せるとしたら、どんなことを話したいですか?

  5. あけましておめでとうございます。
    中高生のころって、特に勉強のできる子には、とてつもない残酷なところがあるものなのではないかと思います。
    そう悩むことはないのでは、と思う一方で、その記憶をないがしろにできないことが、桑山さんを桑山さんたらしめている、という気もいたします。
    大きな勇気の必要なことを、あえてここに書かれた桑山さんに拍手。富山チームも今年はもちっとがんばらなきゃね。

  6. 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 いつか話したじゃろう。桑山さんが思うちょるだけで同級生はみんな嫌ってないんじゃない?って。やっぱりそうじゃった!(何故かアカギの鼻は高くなっちょる)今、有名人になっても天狗にならんで謙虚に活動続けられよるのは、自意識過剰で 臆病な桑山さんがおるからかもしれん。
    先生には謝って下さい。そんなめに合わされても今も現役だなんて。心を病んで辞めていく先生が多い今の時代、その先生のお話 聞かせてあげたいです。 PS 年は明けましたが、カレンダー購入して下さい。

  7. あけましておめでとうございます。今年も、息子ともどもよろしくお願いします。
    年末に帰郷していた息子といろいろ話をして、だいぶ視野が広くなってきたなぁと思いました。
    彼が成長出来ているのには、ドクトルKのお力添えも大きいのだろうと感謝しています。
    好きなことに邁進し、夢を現実にすべく頑張っている彼が頼もしく、すこしうらやましくもありました。
    2月には、仙台に足を運ぶ予定です。

  8. あなたの「決心」のお話、立派なことだと思います。後先を考えることなく行動されればよいのではありませんか。教師はそういうことをされることをも含めて教師なのではないかと、教師の末端を汚す身として言うことができます。
     人間が初めから完全無欠であるならば教育は要りません。日本の学校教育は(良くも悪くも)学芸の伝授のみならず、人格形成をもその目標に掲げてきました。たとえその時傷ついたとしても、30年経ってそれを謝罪にきてくれた教え子がいる教師は、そのことを以て自らの教師生活が決して失敗ではなかったことに喜びを見出すに違いありません。教師とはそういうものです。
     また、金曜日の夜にでも語りましょう。
     寒さ本番を迎え皆様くれぐれもご自愛ください。

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