舞鶴の同級生

山形大学医学部9期生の同期に大江信哉という同級生がいます。
 根っからのスポーツマンで、野球部に所属した大江はいつも真っ黒に日焼けしているのに、成績もよく9期の中の優等生でした。
 その大江の出身地を聞くと、
「網野だよ」
 と言います。それはいったいどこなのか。早速僕は地図帳を開いてびっくり。京都府の丹後半島の付け根にある、実に小さな町なのです。近くには天橋立がありますが、おそらく「どっか~ん」と自然が豊かな小さな町であろうことは、その地図帳からも伝わってきました。
 同じくこちらは「どっか~ん」と山の中の小さな町、飛騨高山出身の桑山は大江に多くのシンパシーを抱き、結構仲良くしていました。
 そんな大江は卒業後も山形に残り、胸部外科の道を進みました。そしていつの間にか乳腺の専門医になっていたのです。そう、乳がんを専門にする医師です。
 誇らしいやつです。
大江
桑山左隣(向かって右側の端)が大江医師
 しかし今から数年前、大江が故郷の京都に還ってしまったと聞きました。
 とても寂しかった。現役合格、田舎町出身という不思議な共感のあった大江が離れてしまったことが、とても寂しかったのでした。
 ところが昨年、大江の出身である網野町の出身である大川愛子さん(現在は千葉県四街道市在住)がこの網野でのステージを開いてくれたのです。一気に大江に近づきました。でも昨年は急患がはいり、結局大江はステージには来てくれませんでした。
 そして、土曜日。ついに彼が開業した舞鶴でのステージが開かれました。
 病院のスタッフをたくさん連れて、少し遅れましたが、大江は確かにステージに来てくれたのです。とてもうれしかったですね。
 そして懇親会。すっかり白髪交じりになった大江は、それでも昔と同じように情熱たっぷりに開業の経緯を話してくれたのです。
「いや~、ちょっと今回の開業はやり過ぎたよ。とにかく乳がんに正面から立ち向かおうとしたもんだから、病院大きくしちゃってな。4億円以上の借金背負ってんだよ。
 手術もな、リハビリもな、化学療法もみんなうちで出来るようにと思って始めたら、スタッフはもう25人になっちゃったよ。
 すごいよ、桑山。うちはな、年商だけで考えると2億4千万円なんだ。月にな薬剤費だけで800万円払ってんだよ。でもな、1年で出て行くお金はな2億5千万円くらいだな。すごいぞ~、3年たってもな、ようやくとんとんか赤字傾向なんだ。
 でもな、俺は後悔していない。”俺はがんばって医者やって、乳がんからな一人でも回復してほしい”って、そんな願いだけでここまでやってきたんだ。
 もう俺の頭の中にはな、“がんばる”って言葉しかないんだよ」
 
 大江、俺たちはもう3年もすると50歳だ。人生もはっきりと後半戦。でもな、俺も開業してからずっとそう思ってた。
 「もうがんばるしかない」そう信じて進むしかないってな。目の前にいる同級生のおまえが誇らしいよ。地獄で同士にであった気分だ。やっぱり同期は良いなあ。そして同じ志の医者同士はいいなあ。
 最後に大江と学生時代の話でも盛り上がりました。
 そして大江が言いました。
 「桑山、おまえ俺たちが学生やっていた頃から、悩んでいたんだなあ。そして模索していろんなところへ出かけていたんだなあ。いつのまにか医者辞めているんじゃないかって思ったたけど、ちゃんと医者やってんだな。うれしかったよ。そして今日のステージはお世辞じゃなくて感動したよ。俺たち医者になってよかったよな。これからも、ひたすらがんばって医者やっていこうなあ!」
 
 ああ大江、来年もまた舞鶴に行かせてもらえると思うんだ。そしたら、おまえの立派な「おおえ乳腺クリニック」を見せてくれ。そして仙台に来たら、俺の「東北国際クリニック」を見てくれよ。
 生涯の同士との再会でした。
おおえ乳腺クリニックのHPは
http://www.nyusen.jp/
桑山紀彦

舞鶴の同級生」への3件のフィードバック

  1. 暑い夏、桑山さんのステージで歌われる思いに、いつも感動をいただきます。
    素晴らしいお友達のお話をお知らせいただき、又感動しています。
    心から患者のためにと、強い気持ちをもたれ、たくさんのお金をかけて、開業される医師の方々に頭が下がります。
    医師はお金持ちと思ってしまいがちでした。けれど、日々の診察をしながら経営者としても、採算を考えなければならない厳しい現実。
    それでも、医者をやっていてよかったと話されるお二人の会話に、信じられるお医者さんは必ず存在すると確信しました。
    患者側も信頼できる医師にめぐり逢えたら、自分でも本気で病気と取り組み治すことが大事と改めて思いました。
    桑山さん 大江さんのご健康を願います。

  2. 7月17日(土),福知山市の夜久野町での先生のコンサート見に行きました。福知山に来られたのは初めてだとおっしゃってましたね。先生のコンサートやお話を初めて聞いて、とっても感動しましたし、先生の優しさに心打たれました。また先生のコンサートに行きたいです。フィリピンやインドのお話を聞いて、私もとても興味を持ち行ってみたいと思いました。コンサートの後、先生が「今日は声がおかしくなった」と言うようなことをおっしゃっていましたが、全く大丈夫に聞こえてましたし、とっても素敵な歌声でした。

  3. 私も、忘れもしない東日本震災があった同じ年の春にしこりに気付き 2011.7.6に大江先生に手術していただいた患者の一人です 一時は人生のどん底まで落ちた気がしていましたが 先生の治療と看護師さんマンモ技師さん受け付け事務の方々に優しく支えてもらい 立ち直る事ができました 先生の地方に住んでいても良い医療体制が出来ているようにとの熱意と信念には、唯々尊敬するばかりです 
    三十七才で乳がんなんて大丈夫と慢心の気持ちで油断していた私を大江先生救っていただいて本当に有難うございます
    闘病生活もまだまだ続きますがどんな時も 先生の様に前向きな気持ちを忘れずに頑張ります

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