破棄された消防車

今日、消防車はそこにありませんでした。

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 昨夜にでも持っていったんでしょうか。今日の午前中にうちのスタッフが行ったところもぬけの殻でした。

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 何の返事もよこさず、何の反応もせず、何事もなかったように持ち去って廃棄する名取市。山田司郎市長。言葉もありません。

 これが行政が考える「復興」というものなのでしょう。

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 日本人はいつからこんなに向き合えなくなってしまったのでしょうか。

 「思い出したくないから」と頑なに破棄を訴えるある一人のご遺族と、「見ていると辛くなるから」と消防車に見向きもしない地元の消防団員。きっと生き残った自分の存在に腹立たしいという気持ちが強いからなんだろうと、関係者がその心情を教えてくれましたが、だったらなおのこと向き合うことが、亡くなった櫻井歩さんへの恩返しなのではないでしょうか。

 

 全国から色んな形で名取市や山田市長にアピールを向けて下さった皆様、本当にありがとうござました。そして結果がこうなってしまって申し訳ありません。

 

 つぶせという一人のご遺族や消防団の「正義」。破棄が決まっていると主張し続ける市役所の「正義」。向き合うために残すべきだと主張する桑山の「正義」。どれもその人なりの「正義」なのだと思いますが、この世に不動の「正義」とはないものなのでしょう。だから世界は常に混乱の中にあります。

 僕が主張する「残すべき」という正義も、一部のご遺族や消防団、名取市長の正義からすれば「おかしなこと」なのでしょう。

 でも、被災して、やっとの思いで立ち上がって、もう二度とこんな目に遭わないようにするためにずっと考えてきた僕たちの6年という時間はかけがえのないものでした。共に悩み、考え、落ち込み、励まし合い、支え合ってきた「向き合う仲間たち」との出逢いが、あの津波によってもたらされた心の傷や苦しみを受け入れていくことにとても役に立ったと思います。

 これからも強固に反対した一人のご遺族と消防団員は、ずっとあの日のことに背を向けて「忘れたような気持ちになって」過ごしていくことになります。それを僕は「それでも正義なのだから」と受け入れることはできません。なぜならば僕は医者だからです。心の健康を取り戻すために医者は闘わなければなりません。「健康であるべき」という「正義」を貫くように教えられてきたからです。

 「見ると辛くなるから破棄してほしい」などという気持ちを持っている人を「心が健康」とはとても言えません。それは心の中に大きな”闇”を抱えている証拠であり、それが近い将来”病気”になる可能性が高いからです。

 手術が痛くて嫌だから、胃にできた腫瘍を取り除きたくないという患者さんを目の前に、

「そうですか、ではやめますか。」

 とは言えない。命のために

「ダメです。痛みに耐えて手術を受けてください。」

 と説得するのが医師の正義です。

 命を飲み込んだ消防車をあえて正視し、そこに向き合うことはとても痛くて辛いことです。でもそれは心の健康のためにとても大切なことです。

 痛みをこらえて治療を受け入れ、頑張って健康になろうとしている人たちがいる中で、

「心が痛くなるので、向き合いたくありません。」

 と言い放つ人を名取市は容認していることになります。

 自分の町に、これからどれほどのPTSDの患者さんが出るかの予測もできないで平気で消防車をつぶしてしまう、そんな町や市長に何の期待ができるのでしょう。

 大変残念な知らせを聞いた、このパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地域もまた、おかしな政治で人々は苦しんでいます。だから僕たちは市民活動をやめない。微力だけど、無力じゃないことを誇りにこれからも正しいと思うことを貫いていきたいと思います。

 でも一方で単なる「モノ」として平気であの消防車をつぶしているであろう、名取市の職員の姿に心底はらわたが煮えくりかえります。破棄を依頼さえた民間の業者さんはどんな気持ちであの消防車をスクラップにしているのでしょう。

 

 天国で見ている櫻井歩さん、あなたは絶対に「あの消防車を残して、次の災害に備えろ!」と訴えているに違いない。そんなあなたの消防車を守り切れず、本当に申し訳ありませんでした。

 

桑山紀彦

 

破棄された消防車」への5件のフィードバック

  1. 桑山さんの主張は、人の尊厳、命の重さを、最も大切との信念の上に基づいていると感じています。
    それはステージのベースにもなっており、だから人々の心を打つのだと思います。
    遺構を残す努力をしている市も多々ある中で、分団の消防車一台では意見がまとめられないから多数決で決めたと思われる名取市のやり方は、市民のための行政と市長のリーダーシップ不在と言えます。
    閖中の遺構も考えないのだから多分そうだろうと思っています。
    市民の心を隅にどかして、大きな土木工事や箱物づくりが行政と勘違いしている名取市は情けないですね。

  2. 筋は違うかもしれませんが、明日名取市に「ご遺族がつらいようなら、奈良に引き取らせてください」と電話してみます。最後まで諦めないでおきましょう。

  3. 単なる「モノ」と思えない方がいるから廃棄するんではないんですかね。
    勝手に櫻井さんの気持ちを代弁しているかのよう書かれていますが、それではただのイタコ芸ですね。
    医者としての倫理を振りかざすのも詭弁です。倫理というものはそもそも何も決められない。
    あなたが書かれているよう、「正義」というのは人によって様々です。ご自分の「正義」をなんの責任もない立場で
    同じ土俵に上がらずただつらつらブログに書いているのではいけないと思います。

  4. 「名無し」さん。人を批判するコメントをするのであればちゃんと名前や出所を明らかにしてはいかがでしょうか。名前も出所も名乗らず、他者への批判はよろしくないと思います。掲載を見合わせさせていただきました。

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