砺波の素晴らしき子どもたちと迷惑な群れる母親集団

今日の砺波の子どもたちにはびっくりしました。
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 これまでもこの富山の伝統的な街の子どもたちは素晴らしく、我慢強く、そして知的でした。
 実はこの砺波のステージは、教育委員会が毎年1校を選んで、毎年ずっと公演してきたものです。8つの小学校がありますが現在2巡目。あと少なくとも4年は呼んでいただけそうです。
 そんな中、今日は庄川(しょうがわ)小学校。8年前に1回目があった小学校ですが、今日もよく聴きました。
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 まず誰もトイレに行かない。これには驚きでした。小学校1年生が90分間集中しているというのは、どんな教育をすると可能なのでしょう。びっくりしました。そしてみんな身じろぎもせず最後までついてきてくれました。その数400人弱。
 校長先生もその終わりの挨拶で非常に子どもたちをほめていらっしゃいました。
 「我慢できない子どもたち」が増える現代ニッポンの中で、砺波の小学生は実に古き良き伝統を今に残し、立派な姿を見せてくれました。
それが故に残念だったのは、後ろの壁により掛かりながらずっと話をしている母親たちがいたことです。
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 その連絡が入ったのは「ステージ1」のフィリピン篇の途中からでした。
「ちょっと話しを止めて」
と言う指示と共に、
「ずっと私語を続けている親が数人いるから。」
とのこと。水を飲む拍子に語りに「間」を作ってみましたが、桑山のところまではその話し声は聞こえませんでした。しかし、明ちゃんは相当怒っている様子で、最終的には、
「何を言ってもわからないだろうから、放って置こう。」
と言うメールを送ってきましたが、こんなに怒っている明ちゃんも珍しいところです。
 だから迷いましたが、震災篇に入る前に思い切って語りました。
 「本当に今日の小学生は立派だ。こんなに我慢強く、しっかり聞いてくれる小学生にはなかなか出逢えない。だからこそ、その後ろでずっとしゃべり続けているお母さんたち。あなたたちは一体何をやっているのか。恥ずかしくないのか。
 これから多くの同胞が亡くなった津波の話しをする。少しは場をわきまえるべきではないか。
 そういう自分勝手な行動が、他人を妙な噂話に巻き込んだり、先生のあらぬ噂を広めたりして、学校運営に大きな支障をきたしたりする。直ちにその私語をやめるべきであろう。」
 会場がし~んとなり、子どもたちもびっくりした様子でした。ようやくこれで気づいただろうか、と思いきや、明ちゃんから、
「相変わらず私語をやめない」
とのこと。
 これが「無意識の中に埋没する保護者」の姿だと思います。おそらく自分たちのことを言われていることに気づけないのか、あるいは気づいているけれど意地になっているのか…。
 こんなに素晴らしい子どもたちなのに、親の姿がこれでは余りに情けないものです。
 
 自分がやっていることの愚かさに気づけない母親の恐ろしさ。子どもたちは今後どれほどのストレスをこの母親たちから受けなければならないのか、暗たんたる思いでした。
 このような意識の低い母親たちが徒党を組んで、ありもしない噂話を流し、罪もない人たちを傷つけていくのです。とても残念でした。
 公演後、関係者の数名の方が、
「ガツンとよく言ってくれました。学校や街の人間はなかなか言いにくいものです。でも、これで目覚めるといいのですが…。」
おそらくまたこの母親集団は、今日怒られたことの腹いせに「地球のステージ」や桑山の悪口で盛り上がっていることでしょう。容易に想像が出来ます。
 群れる迷惑な母親集団。
 それが子どもたちを傷つけ、学校運営を妨害し、ひいてはその不利益を自分がかぶっていることに気づけず、また人の噂と悪口を言い続けていくのです。そして気づいた時には自分も子どもも地域から浮いて煙たがられる存在になっているけれど、もう手遅れという事態。これは決して砺波だけの問題ではなく、全国津々浦々、いろんな学校で大きな問題になっていることです。
 自らの姿を客観的に見ることの出来ない若い世代の親たちの暴走は、こんな平和で素晴らしい街にもはびこっているのです。
 まともな思考を持った他の保護者が立ち上がり、こういった群れる迷惑な母親集団を気づかせることが出来ることを祈りながら、美しい夕暮れの砺波をあとにしました。
 また来年。
桑山紀彦

砺波の素晴らしき子どもたちと迷惑な群れる母親集団」への6件のフィードバック

  1. とてもよくわかります。残念…だけでは、とても済まされない情けなさと憤りでいっぱいになります。そんな身勝手で安易な仲良し集団を作らないよう、声かけをしています。
    いろいろな時間、場…など、出会いを大切に生きていきたいです。

  2. 桑山さま、「よくぞおっしゃった」です。この話、本当に、本当に、物凄くよく理解できます。
    ここまで具体的に書かれたということは、どうにもできない程のお気持ちだったのではとお察しいたします。
    しかし、この方達はご自分達の何が悪いのかに全く気付けない方達ではないかと、お気の毒に思います。
    私は毎月1回、500名近くの人が集まる講習会に参加していますが、折角、講師が指導をしているにもかかわらず、最初から最後までずっとおしゃべりをしている方が、男女(比率とすると女性の方が多いと思います)を問わずいらっしゃいます。私は、このような人達は何を学びに来ているのだろうか?ただ単なる社交の場?と思うことが沢山有ります。
    そしてある意味、これは、子供の頃からの家庭教育(しつけ、私はここが最も大切と思います)と学校教育が不足したための産物かなとも思います。
    今後のステージにおきましても、気付いた時は、はっきりおっしゃっていいと思います。群れずに、グローバルな世界において自立できる人を育てるためにも、その保護者に気付かせることはとても重要ではないかと思っています。
    今日は楽しみにしていらした多文化間精神医学会の先生方と充分にお楽しみください。

  3. 公益、共益、そして思いやる気持ちの大切さ。
    この親のその親の代から隅に追いやられた学校教育と社会環境で
    育てられた、親の常識や価値観の尺度はすごい速さで変わってきている。
    今の日本は人の痛みを感じない人間を増産している社会環境疲労を起こしていると言えます。
    嘆かわしいことです。

  4. 桑山さん、身体は日本時間に戻りましたか?今年、私達は順番で地域の役を受けています。色々な行事の度に会合が開かれますが、その会合の最中、隣り合わせで内容に関係ない話をしている人が必ず一組はいて、進行係が注意してくれれば良いのですがそのままにしておくと最後まで、2〜3人で話し続け、ひどい時には最後に分からなくて質問する、迷惑な人がいます。そのような人はその時に注意してもまた、次回の会合で同じことをするのです。本人たちは何が他の皆さんに迷惑をかけているか分からないところが始末が悪い。親たちの考え方の違いによって起きる争いが、子供たちに悪影響を及ばなければいいのですが。

  5. 桑山さま、昨日は気分転換をされましたか。
    実は、一枚目の写真を拝見しました時、私が最近イベントでお目に掛かりました時の桑山さまと違って寂しそうに感じてしまいました。(フィリピン以前の写真でしたらすみません)
    今回のことは氷山の一角にすぎないと思っています。
    今後、是非とも多くの学校で開催するステージを通して、子供たちのみならず、その保護者たちにも感受性豊かな人になるよう、お話しいただければと思います。
    6日からのブログ、また、6番目の「地球のステージ1」を拝見する予定ですので、楽しみにしております。

  6. どうも初めまして。
    自分も桑山さんに全くもって同感です。
    自分もこれに似た出来事を味わった事があります。
    以前自分は総合格闘技のジムでブラジリアン柔術を習っていたことがありますが、そこの練習生に陰湿ないじめを受けたために結局やめざるを得ない事態に陥ってしまいました。
    ジムのトップにもそれを相談したものの取り合ってもらえずに失望しました。
    おそらく、ジムの連中も、この記事の母親たち同様に「自分さえバレなけりゃいい」という思い上がった考えを持っていたのでしょうね。
    自分は、とても弱い一人の人間に過ぎませんが、桑山さんのように勇気を持って「ダメなものはダメ」だと大声で言えるようになりたいです。
    そして、桑山さんのように勇気と強い正義感を兼ね備えた人がどんどん現れてくれれば、日本ひいては世界も少しずつ変わっていくんではないかと思うのです。

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