小原病院のステージ

今日は山形県河北町にある小原病院でのステージでした。
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 これは病院の食堂で開かれる、患者さんとスタッフの皆さんのためのステージですが、そのほとんどが入院患者さんとデイケアの患者さんです。

 統合失調症や認知症の患者さんたちが集まって下さる中、今日はステージの5番です。パキスタン地震救援のお話、パレスチナの「50日戦争」のお話、ヒロシマのお話、そして津波のお話、最後は桑山家の北海道開拓のお話。全てで110分ですから正直それだけの時間、その場所にいられるかどうかわからない症状を持った皆さんです。

 でも、今日で4回目のステージ(3番を飛ばしていますので)ですが、実に見事に静寂の中、2人の患者さんの離脱を除いてみんな聴いてくれました。嬉しかったですね。

 最後の感想は、入院患者さんの大江さんからのものでした。
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「今日はお忙しい中、私たちを元気にしてくださる、柔らかで穏やかな音楽、お話を聴かせていただいてありがとうございます。優しい子守歌のように感じました。

 地球という一つの星に、様々な事情で心身が傷つき、けれどまだ生きているという人がいること。そしてそれらの人たちを支えている人たちもいるということ。

人というのはどこかで支え合って、認め合って生きているということを改めて感じ、考えました。

桑山さん、スタッフの皆さん、そしてこの公演を開いてくれた小原病院全てのスタッフの皆さんに心から感謝いたします。

 私からは御礼として私の大切な言葉としているものの一つを送らせていただきます。

 目、耳、口が不自由な三重苦を背負ったヘレン・ケラーの教育者だった、アン・サリバン先生の言葉です。

「人のくちびるから漏れるほほえみを、自分の幸せと感じられる人間に、私はなりたい。」

 今日は本当にありがとうございました。」

 心の障がいって何でしょうか。

 この大江さんも心の病にかかって入院されています。でもとても豊かな心だと思います。

 大江さんもいろんなところで傷ついて、苦しんで、病気になり、今は小原病院に入院しています。でも、この心の動きは素晴らしく、まさに「心がしっとりと動いている」といえるものだと思います。

 心の病とは絶対的なものではなく、非常に相対的なものであると思ってきましたが、やはりこの小原病院に来ると、その「原点」を再認識させられます。

 

 精神科医になって28年。山形大学の医局でも、出先の病院でも

「こんな精神科医になりたい」

 と思わせてもらえるような人はほとんどいませんでした。山形の外に出て、昔「多文化間精神医学会」の創設に関わった時には、「こんな医師になりたい」という人はたくさんいらっしゃいました。でも、山形大学の医局は最悪でした。ところがこの小原先生だけは違った。

「こんな精神科医になりたい。」

 と思わせてくださった山形における唯一の精神科医です。

 常にチームで医療を行い、自分の弱点や弱いところもしっかりと知っている。いつも腰が低く、でも肝心の所の全責任は自分で負う強さも兼ね備えている。そしてこの病院を構えて30年、絶対にぶれないで常に「心の病とは何か」「それをケアするとはどういうことか」を模索し続けている小原先生。

 自分にとって、親父のような存在です。
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 その小原先生が、今日の5番のステージが終わった時に、ツカツカと自らいらっしゃって、僕にこう述べられました。

「桑山君、成長したね。こんなに短時間で成長した君の姿を見たのは初めてかも知れない。君は、生きる命のことを伝えられる力を持った。ぶれずに、進んで行きなさい。」

 涙が出てきました。

 医者としての自分。特にこの「地球のステージ」を始めてからの19年間の自分はいつも同僚の精神科医たちからいぶかしがられてきました。彼らは違和感を放つ僕のことが嫌いだったのだと思います。

 山形大学の精神科の医局のことなど、思い出したくもありません。

 でも、自分には役割があると思って、迷いながら、くじけそうになりながらここまでやってきました。それでも、身近にいる内科医からも「変な医者」という目で見られ、ある意味軽んじられてきたのだと思います。

「国際協力なんてやっている医者は外れモノだ」

 という差別と偏見です。

 

 でも今日の小原先生の一言で、「頑張ろう」と思えました。

 医師としての自分ではなく、「命のことを伝えるもの」としての自分をもっと高めていけばいいのだと吹っ切れました。

 70歳を超えてなお現役の、そして百戦錬磨の精神科医療機関の院長である小原先生に言われた、

「君は生きる命を伝える力を持っている」

 という言葉に恥じないよう、これからもステージを続けていきたいと思います。

 遠くにいても、いつもこの小原病院が僕の原点です。

 精神科医として迷った時は、この病院へ戻ろうと思っています。それは「働く」という意味ではなく、原点に還るためのエネルギーをもらいに、小原病院を訪問しようという意志です。そして逢いたいのは、小原先生、OTの大場さん、素敵なスタッフの皆さん、そしてそこに長く入院されている患者さんたちです。ここに「心をケアする」ことの原点が常にあるからです。

 小原病院の発展を願って。

桑山紀彦

小原病院のステージ」への3件のフィードバック

  1. ステージの予定表に、何度か、「河北町小原病院」とあったので、ん?なんで病院?と思っていました。
    ブログを読んで納得!
    桑山さんと小原先生の思いが、ステージ開催に結びついていたのですね。
    病院って、診察し、薬を渡してはい終わり・・・なんてところも多い中、患者さんにもステージを見てもらうという取り組みは、心の豊かさやゆとりまで感じます。

  2. 桑山さん、山形大学には嫌な思い出を超えて怨念を感じます。
    珍しく表現がストレートですものね。
    よほどの事があって、それを乗り越えて今があると思われていると推察します。
    でも、ご自身のPTSD治療をされていると思って読んでいました。

  3. 自分の感覚を封じ込めてしまわなければ、その組織の中では生きていけない…壊れそうな自分の心と闘いながら、正直な自分の心に寄り添いながら、必死で踏ん張って生きているんだ!と自分自身を認めます。
    もう亡くなりましたが、母がひどい統合失調症で、治療を受けるにあたって、随分辛い嫌な目に合わせてしまったことを、長い間苦しみました。何もわからなくなってしまった、と思い込んでいましたが、なんでもよくわかっていたんです。人の心の奥底まで見えていました。傲慢で物扱いするような医者に出会うと、激しく罵っていた母の真っ直ぐな心が大好きでした。

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