「閖上の記憶」リニューアルオープン!

今日は「閖上の記憶」移転による、再オープンの日でした。
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(ちょうど真ん中の少し左が「閖上の記憶」です)
 

 日々変わっていく閖上。遅すぎた感は否めないけれど、それでも街が変わっていく中でそれを受け止めつつ、「忘れてはならないこと」をしっかり刻み続けるためにこの「閖上の記憶」は存在し続けます。

 小齋館長が最初の挨拶で、

「自分たちが生活し、歩いてきたその道がなくなる。全てが土の中に埋もれていく」

 その寂しさと辛さを語られました。でも、立ち止まるわけにはいかない。だからこそ、語り継ぎ、残す必要があることの大切さを語りました。
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 運営して3年が過ぎましたが、みんなの中で「なぜこれを続けるのか」の意味が日々はっきりしてきているように思います。

 そのあと、ミニステージ。スリランカの津波救援の話しと新しい「津波5年目篇」の公開をさせていただきました。
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 今後この「津波5年目篇」はこれまでの4作、「震災篇」「復興篇」「未来篇」「復活篇」と継続してくださっているところの「5作目」として公演していきます。真ん中にあるテーマは「自分を殺そうとした”津波”~”海”にどう向き合うか」です。曲は、最近滅多に歌わなくなった「この国へ」に乗せています。

 そして、スタッフ紹介。皆さんが役割を確認しました。

 そしてこの度新しく完成した「証言録」の中で長沼俊幸さんの20分版を公開しました。

 6月以降、「証言視聴ブース」で視聴していただけるようになります。

 そして閖上生まれ、閖上育ちで学校の先生をされていた大友貞子さんの「語り部」でした。

 昔々の閖上のことを語れる数少ない方です。お話を聞いていると、目の前にその当時の(昭和中期の)閖上がまぶたに浮かぶようでした。でもそれだけでは終わらず、被災の話しもされてきっちり30分で終わられました。長くなるかな?と思ったけれど、ちゃんと時間を守られる。素晴らしい90歳の語り部でいらっしゃいました。

 最後はやはり丹野さんに締めて頂きました。
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 「閖上の記憶」はあくまで閖上中学校でなくなった14人の生徒さんの慰霊碑を守る「社務所」の役割が第一義です。丹野さんの言葉に、これからするべきことが見えてきました。

 これからも「地球のステージ」は、この「閖上の記憶」を震災支援の拠点として頑張って支えていきます。

 全国の皆様がここを訪れ、趣旨をご理解頂いて、応援してくださいますように。

桑山紀彦

「閖上の記憶」リニューアルオープン!」への3件のフィードバック

  1. 閖上の記憶、再オープン初日。
    来られて、本当に良かったです。
    桑山先生のミニ地球のステージも聞けて、感動し、そして、貞子先生の閖上の歴史。 素晴らしい歌声と共に貴重なお話しを聞くことが出来て、とっても素敵な街だったんだなぁ~。と、知ることができました。
    昔の閖上を知っているだけに、変わっていく街が辛いと思います。
    私たちには何も出来ませんが、皆さんのお話しを聞いたり、変わっていく街を見ていきたいと思います。
    今回、閖上に来て、再会もあり、又、新しい出逢いもありました。
    心癒され、帰路に着きます。

  2. 場所は変われど想いは変わりません。
    これまでもこれからも。
    ご縁とご恩に改めて感謝申し上げます。

  3. ドローンのリアルな映像を見て復興未だしと感じました。
    遠くに住む者の生温さに忸怩たる思いです。
    皆様の粘り強い活動に感謝し自分に出来ることを考えていきます。

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